【長編】戦(イクサ)林羅山篇
武家諸法度
 武家諸法度の見直しは老中らが
集まって協議し、それをもとに道
春が東舟の協力を得て起草した。
 以前の秀忠が崇伝に起草せた十
三ヶ条の武家世法度をより分かり
やすく身近なことにも踏み込んだ
内容とし、さらに六ヶ条を増やし
て十九ヶ条とした。
 新たに加えられたものに参勤交
代がある。
 これまでも江戸近隣を領地とす
る諸大名は頻繁に江戸城に出向
き、重臣らに付け届けをして家光
との絆を深めようと争った。その
ため政務は遅れ、江戸になかなか
出向くことが出来ない遠方を領地
とする諸大名には不満が募り、地
域間の格差が出て不公正なものと
なった。また偏った情報しか入ら
ず、その悪習が表に出たのが対馬
の国書改ざんだった。
 これを改めるため大名は領地と
江戸とを一年ごとに参勤すること
にし、頻繁に出向く大名を遠ざ
け、遠方を領地とする大名との公
平を保つことにした。これにより
各地の情報を集めることもでき、
大名のいない間、領地の管理を家
臣に任せることで、忠義を試し不
正も見つけやすくなる。
 参勤交代で負担が増えることも
配慮し、共をする家臣の人数を減
らすように戒められた。
 かつて小早川秀秋は筑前、筑後
を領地としていた時、主な家臣を
各地にある諸城の城主として普段
は秀秋の居城、名島城に集め、城
主間の情報交換をさせ、領地全体
の様子を把握して、短所を見つけ
やすく長所を広めやすくした。そ
のことを道春は懐かしく思い出し
ていた。
 出来上がった武家諸法度は家光
の承認を得て、六月に尾張、紀
伊、水戸の徳川親藩主と江戸にい
た諸大名を江戸城に呼び、大広間
で道春に全文を読ませた。
 その後、幕府は寺社と遠方の藩
からの訴訟を管轄する寺社奉行を
設置して、老中、若年寄、寺社奉
行、町奉行、勘定頭などの組織を
再編した。
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