【長編】戦(イクサ)林羅山篇
強気の対応
朝鮮通信使の一行、四百七十八
人は十二月に江戸へ到着した。そ
の三使には正使・任絖、副使・金
世濂、従事官・黄かんがなってい
た。
朝鮮からの国書には事前に知ら
せていたように「日本国大君殿
下」と記されていた。それに対す
る返書はすべて道春が起草し、崇
伝の弟子だった元良が清書した。
日本の対応はこれまでとは違い
強気だった。
家光への拝礼の仕方は、日本の
使節が朝鮮に行った時、堂上の大
使を前に庭で拝礼をしていたの
で、家光の前でも庭で拝礼する
か、家光が椅子に座り、その前で
拝礼するように求めた。これに対
し正使の任絖が「非礼であり、豊
臣秀吉の悪しき治世を思い起こさ
せる」と激怒した。そこで家光が
譲歩しこれまで通りの拝礼とし
た。
通信使を連れて来た対馬藩主、
宗義成は家光の面目を保とうと三
使に日光東照社に参拝するように
促し、泰平の祝賀ということもあ
りこれに応じた。
人は十二月に江戸へ到着した。そ
の三使には正使・任絖、副使・金
世濂、従事官・黄かんがなってい
た。
朝鮮からの国書には事前に知ら
せていたように「日本国大君殿
下」と記されていた。それに対す
る返書はすべて道春が起草し、崇
伝の弟子だった元良が清書した。
日本の対応はこれまでとは違い
強気だった。
家光への拝礼の仕方は、日本の
使節が朝鮮に行った時、堂上の大
使を前に庭で拝礼をしていたの
で、家光の前でも庭で拝礼する
か、家光が椅子に座り、その前で
拝礼するように求めた。これに対
し正使の任絖が「非礼であり、豊
臣秀吉の悪しき治世を思い起こさ
せる」と激怒した。そこで家光が
譲歩しこれまで通りの拝礼とし
た。
通信使を連れて来た対馬藩主、
宗義成は家光の面目を保とうと三
使に日光東照社に参拝するように
促し、泰平の祝賀ということもあ
りこれに応じた。