【長編】戦(イクサ)林羅山篇
林家の役割
 五月には家光の側室、夏が三
男、長松を産んだ。
 夏は町人の娘で、正室の孝子に
付けられた女中だった。役職にも
ついていたが孝子に命じられ家光
の入浴の世話をすることになり、
そこで家光の目に留まった。
 この年が家光の厄年にあたり、
厄除けのため家光の姉、千のいる
竹橋御殿で夏は産み、千を養母と
して秀忠の幼名、長松と名付けら
れた。
 孝子は長男の座を春日局に先を
越され、この長松は千が養母と
なったことで将軍候補から遠ざか
るという不運が続いた。

 十月
 春斎が起草していた神武天皇か
ら持統天皇までの国史、四冊が出
来上がり、道春はこれを「本朝編
年録」とし、別に「本朝王代系
図」の一冊をあわせて家光に献上
した。
 春斎には十二月に次男、又四郎
が産まれた。また初めての年俸二
百俵を賜った。そしてこの月、後
光明天皇の即位により元号が改め
られることになった。これまで元
号は天皇と朝廷だけで決められて
いたが、この時から幕府も加わ
り、道春にも助言を求められるよ
うになった。幕府に朝廷から伝え
られた新しい元号は正保で、道春
はこれをよしとした。また、これ
まで崇伝がしていた徳川将軍家の
若君が成人した時の実名撰進も道
春が担当することになり、家光の
嫡男、竹千代の名を家綱と撰進し
て、これ以後、林家が代々関わる
ようになった。
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