【長編】戦(イクサ)林羅山篇
亀松の死
 正保四年(一六四七年)
 道春は江戸城にほとんど登城す
ることはなくなり、子らが一人前
になったので、春斎が東舟の住ん
でいた旧宅に引っ越すのを機会に
自分の蔵書を分配して隠居するこ
とにした。
 蔵書の中から春斎には千部余
り、春徳には七百部余りを分け与
え、残りは春斎の子にいずれ与え
るようにと春斎に持って行かせ
た。
 一方、大奥では家光の次男、亀
松がわずか四歳で死んだことで
色々な憶測が飛び交っていた。
 亀松がいたのでは仮に長男、家
綱に子ができないとしても正室、
孝子が頼みとしている夏の三男、
長松の血筋から将軍が誕生する可
能性が低くなる。そこで亀松を殺
したというのだ。当然、孝子は否
定し、春日局の後任となった万の
謀略と、非難合戦になっていた。
これに家光は激怒し、亀松は病死
として片付けた。
 この後、里佐が五男、鶴松を産
んだことで争いは治まっていっ
た。
 里佐は孝子の侍女として大奥に
入り、家光の側室となっていた。
 この年、江戸で大地震があり江
戸城の石垣や大名屋敷が倒壊する
などの被害が出た。
< 244 / 259 >

この作品をシェア

pagetop