【長編】戦(イクサ)林羅山篇
家光の死
 慶安四年(一六五一年)
 二月
 所帯を持つことを拒んでいた春
徳だったが長女、菊松が産まれ、
父親となった。それを知った徳川
光圀から詩を賜るなど道春をホッ
とさせた。だがその喜びもつかの
間、四月に家光が病に倒れ、後の
ことを家臣に託して息を引取っ
た。
 家光の後を追って堀田正盛、阿
部重次らが殉死したが、酒井忠
勝、内藤忠重、松平信綱、松平乗
寿、永井尚政、阿部忠秋らは家光
の遺言に従い、十一歳の家綱を将
軍としてその補佐役に家光の異母
弟、保科正之を迎えることになっ
た。これにともない大奥がなくな
り、側室らは出家し、大半の女中
も去っていったが、春日局の跡を
引き継いだ万は留まったので正
室、孝子が強い権力を握ることは
できなかった。
 家光の遺骸は上野の東叡山、寛
永寺に移され、葬儀が行われた
後、五月六日に日光山、輪王寺に
葬られた。
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