【長編】戦(イクサ)林羅山篇
由井正雪
正雪は町人の子として生まれ、
楠木正成の子孫、楠木正辰の弟子
として軍学を習い、正辰の娘と結
婚して婿養子になった。そして私
塾、張孔堂を開き、正辰の南木流
軍学を広めていた。その名声は高
く諸大名や幕府からも仕官の誘い
があったが正雪は断り、張孔堂に
諸大名、旗本の子らを集めて門下
生としていた。
やがて浪人が増え始めると幕府
の仕官を断って軍学を教えている
正雪に共感し頼る者が増え始めて
三千人を超す一大勢力になってい
た。そうした中で家光の死と松平
定政の幕府に対する捨て身の批判
とも受け取れる行動が正雪をつき
動かした。
正雪の呼びかけに応えて密かに
集まった丸橋忠弥、金井半兵衛、
奥村八左衛門らが江戸焼討ちを皮
切りに京、大坂などで決起するこ
とが決められた。それには天皇に
幕府討伐の勅命を受けることまで
綿密に計画されていた。しかし奥
村八左衛門は幕府に内通してい
て、計画のすべてが伝えられてい
た。
楠木正成の子孫、楠木正辰の弟子
として軍学を習い、正辰の娘と結
婚して婿養子になった。そして私
塾、張孔堂を開き、正辰の南木流
軍学を広めていた。その名声は高
く諸大名や幕府からも仕官の誘い
があったが正雪は断り、張孔堂に
諸大名、旗本の子らを集めて門下
生としていた。
やがて浪人が増え始めると幕府
の仕官を断って軍学を教えている
正雪に共感し頼る者が増え始めて
三千人を超す一大勢力になってい
た。そうした中で家光の死と松平
定政の幕府に対する捨て身の批判
とも受け取れる行動が正雪をつき
動かした。
正雪の呼びかけに応えて密かに
集まった丸橋忠弥、金井半兵衛、
奥村八左衛門らが江戸焼討ちを皮
切りに京、大坂などで決起するこ
とが決められた。それには天皇に
幕府討伐の勅命を受けることまで
綿密に計画されていた。しかし奥
村八左衛門は幕府に内通してい
て、計画のすべてが伝えられてい
た。