【長編】戦(イクサ)林羅山篇
法令三ヵ条
後陽成天皇の第三皇子、政仁親
王が帝に即位すると家康は武家の
守るべき法令三ヵ条を定め諸大名
に誓わせることを考えていた。
この法令三ヵ条は道春が起草し
たもので、征夷大将軍である徳川
の命令に従い、法度に叛いた者を
かくまうことを禁止し、謀反を企
てる者を抱えることを禁止した。
この時、法令三ヵ条に対する誓
書の提出を促したのは主に西の諸
大名で、豊臣家に味方することを
けん制する狙いが誰の目にも明ら
かだった。これを豊臣秀頼に事前
に伝わるようにした。そして秀頼
に上洛し家康と会うことを命令し
た。
秀頼は若い帝の後見人のように
なった家康に叛くことはできず、
二条城で会うことになった。
これより前の慶長八年(一六〇
三年)に秀頼は徳川秀忠の娘、千
と婚姻していたため祖父に会うと
いう気安さがあった。しかしこれ
にはいまだに残る豊臣恩顧の諸大
名が神経をとがらせ加藤清正や浅
野幸長らが秀頼の警護にあたっ
た。
王が帝に即位すると家康は武家の
守るべき法令三ヵ条を定め諸大名
に誓わせることを考えていた。
この法令三ヵ条は道春が起草し
たもので、征夷大将軍である徳川
の命令に従い、法度に叛いた者を
かくまうことを禁止し、謀反を企
てる者を抱えることを禁止した。
この時、法令三ヵ条に対する誓
書の提出を促したのは主に西の諸
大名で、豊臣家に味方することを
けん制する狙いが誰の目にも明ら
かだった。これを豊臣秀頼に事前
に伝わるようにした。そして秀頼
に上洛し家康と会うことを命令し
た。
秀頼は若い帝の後見人のように
なった家康に叛くことはできず、
二条城で会うことになった。
これより前の慶長八年(一六〇
三年)に秀頼は徳川秀忠の娘、千
と婚姻していたため祖父に会うと
いう気安さがあった。しかしこれ
にはいまだに残る豊臣恩顧の諸大
名が神経をとがらせ加藤清正や浅
野幸長らが秀頼の警護にあたっ
た。