【長編】戦(イクサ)林羅山篇
片桐且元
駿府に方広寺の梵鐘に刻まれた
銘文の弁明に来たのは銘文の作
者、南禅寺の文英清韓長老と方広
寺の作事奉行を務めていた片桐且
元だった。
且元は天正十一年(一五八三
年)の賤ヶ岳の戦いで武勲をあ
げ、賤ヶ岳の七本槍といわれた福
島正則、加藤清正、加藤嘉明、脇
坂安治、平野長泰、糟屋武則と
いった面々の一人に加えられた。
関ヶ原の合戦には参加しなかっ
たが家康に人質を出したため、後
に大和竜田、二万八千石の所領を
与えられ、豊臣家の家老に任命さ
れていた。
先に方広寺の梵鐘に刻まれた銘
文に問題があると知らされていた
ので且元は青ざめた顔をしていた
が、駿府で待っていた本多正純と
崇伝には意外にも快く迎えられ
た。
「清韓長老、且元殿、ご足労いた
だきかたじけない」
正純は深々と頭を下げた。
銘文の弁明に来たのは銘文の作
者、南禅寺の文英清韓長老と方広
寺の作事奉行を務めていた片桐且
元だった。
且元は天正十一年(一五八三
年)の賤ヶ岳の戦いで武勲をあ
げ、賤ヶ岳の七本槍といわれた福
島正則、加藤清正、加藤嘉明、脇
坂安治、平野長泰、糟屋武則と
いった面々の一人に加えられた。
関ヶ原の合戦には参加しなかっ
たが家康に人質を出したため、後
に大和竜田、二万八千石の所領を
与えられ、豊臣家の家老に任命さ
れていた。
先に方広寺の梵鐘に刻まれた銘
文に問題があると知らされていた
ので且元は青ざめた顔をしていた
が、駿府で待っていた本多正純と
崇伝には意外にも快く迎えられ
た。
「清韓長老、且元殿、ご足労いた
だきかたじけない」
正純は深々と頭を下げた。