【長編】戦(イクサ)林羅山篇
腹芸
 家康との謁見を終えた羅山はす
ぐに京の市原にある惺窩の山荘を
訪れた。
「御殿様の様子はどうであった」
「平然としてはおられましたが、
内心はどうか分かりませんね。ま
あこれで私が生きていることは分
かったわけですから、どのような
策を繰り出すか。御殿様はまた
会って私の力量を見定めたいと
おっしゃってましたから、まずは
知恵比べということでしょうか」
「そうか。それは良かった。もう
命を狙うことはあるまい」
「なぜです。分かりませんよ、あ
のお方の考えることは」
「御殿様が平然としておられたの
なら殺そうとしたのが自分だと
言っているようなもの。もし殺す
気がまだあるのなら、あんたが生
きていることが分かったら、嘘で
も喜んだはず。それがあの御殿様
の腹芸」
「なるほど、だから『わしは今で
も秀秋殿を早よう喪った事を残念
に思うておる』などと心にもない
ことを言っておった。いや、おっ
しゃっておいでだった」
「あんたが羅山として生きること
を認められたのだ。ただし、仕官
をさせるかどうかはこれからだぞ
ということだ」
「なるほどね」
「なにを悠長な。力量を試される
のだぞ。準備はできているのか」
「それならご心配にはおよびませ
ん。死んだフリの二年間、あらゆ
る書物を読破し、頭に叩きこんで
おります」
「ならば良いが。幼き頃はよくさ
ぼって遊びほうけておったから
な」
「それは先生の学問が難しすぎた
からです。実践して始めてその奥
の深さを思い知らされました。だ
から今はさぼったりしませんよ」
「心配なのはそこだ。私の学んだ
朱子学を御殿様の知恵袋の中で理
解している者はそう多くはいない
はず。朱子学以外からの問答を仕
掛けてくるかもしれん。そうなる
と多岐にわたる知識が必要になる
ぞ」
「そこでなんですが、兄に会って
来ようと思っています。稲葉につ
いて先生はなにかご存知ですか」
「あれは…」
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