短編集
その彼女に偶然会ったのは大学からの帰り道。
彼が追い抜いた自転車に向かって叫んだ瞬間、嫌な予感がした。
話には聞いていたけど“あの子だったらどうしよう”と思ったのが一番最初だった。
名前は常々聞いていたし、彼の親友の妹だってことは知ってた。
ただどんな子なのかは知らなくて、この日が初対面だった。
追い抜いていった自転車は彼の声で止まって、数秒動かなかった。
もう一度、彼が名前を呼んでようやく振り返った。
第一印象は“見た目のわりには強い瞳を持つ子だな”と思った。
名前を呼ばれて止められたのに無表情で振り向いた。
彼に声を掛けられて無表情で振り向いた子は彼女が初めてだった。
彼女は彼を“ゆーくん”と呼び、彼は彼女を“ちず”と呼んだ。
彼は私のことを“あいちゃん”と呼ぶのに彼女は“ちず”と呼ぶ。
彼にとっては無意識であっても私が反応するには十分だった。
彼女のお兄さんが通りかかり、私を除く3人で少し盛り上がっていたときはお兄さんがいたからか笑顔を見せていた。
素直に可愛い笑顔だと思った。
限られた人にしか見せない貴重な笑顔なんだと思った。
帰り際、初めてちゃんと目が合ったとき、私に恥ずかしそうにぺこりと頭を下げた。
お兄さんが彼女の自転車を運転し、彼女が後ろに座った。
似てない兄妹だから知らない人が見れば恋人に見えるだろう。
そんな事でほっとした自分に彼女への嫉妬心を認めて嫌になった。
彼がその後ろ姿を見て「ミッキーいいなぁ」と呟いていたとき、私はちゃんと見ていた。
遠くなってく彼女の毅然としていた態度が小さくなるにつれて前のお兄さんにしがみつくように小さく俯いていたこと。
お兄さんが手を背中に回してぽんぽんと叩いていたこと。
私の勘は外れていなかった。
彼女は一切見せていなかったけど、気持ちの裏側をずっと見せていたに違いない。
彼女は彼が好きなんだ、と気付いた瞬間だった。
(※自転車の二人乗りは禁止されています)