短編集
彼が彼女の家庭教師を始めて一ヶ月が経つ頃にはすでに明確な変化が現れていた。
彼は家庭教師のバイトに、いや彼女に入れ込み、私との約束を忘れるようになった。
恋人の私より彼女の家庭教師を優先し、デートの約束をしても忘れて彼女の家に行ってしまう。
そうなってようやく自分の間違いに気付いた。
彼女の家庭教師を了承するということはこういうこと。
私は彼を自由にさせすぎ、自分より彼女を優位にたたせてしまった。
彼女を誰よりも特別視している彼だからこそ許してはいけなかった。
だからといって彼女の家庭教師を止めることは出来なかった。
彼が嬉しそうに話し、楽しそうに話す姿を見ていると辞めさせることなんて出来なかった。
そうして少しずつ私も我慢の限界を超え、喧嘩が増え…だけど私から別れを切り出すことはしなかった。
彼が彼女をどんなに特別視していても、私よりも一緒にいる時間が長くても、私は彼が好きだったし、私は彼の“恋人”だ。
どんなに彼女が彼を好きでも、彼が彼女を優先しても、彼の隣に立つべき存在は私で彼女ではない。
それだけが私を支えていた。
そして一ヶ月前、怖れていた出来事が起こった。
彼が彼女の家庭教師をし始めてから格段と増えた喧嘩で何日も連絡を取っていない休日の午後だった。
いつもはその場で仲直りしていた小さな喧嘩も彼女への嫉妬心から無駄な維持を張るようになり何日も口を利かないことが増えた。
私自身が悪いのはわかってた。
一言謝れば済むこともわかってた。
だけど、毎日彼女に付きっきりで全然構ってもらえず、最近は電話すらも少なくなった状況にイライラせずにはいられなかった。
相手がいくら4歳下でも女は女。
18歳にもなれば女の子ではいられない。
考えれば考えるほど無限ループに陥るばかりだった。
そんな日々が続いたある日、『気分転換に行こうよ』と友達が誘ってくれたショッピング。
少しは気が紛れるし、その勢いで謝ろうと決めていた。
決めて気持ちを切り替えた時だった。
「ちず!」
聞き間違えるはずない声。
言い間違えるはずない名前。
その先には彼女がいて、その5歩後ろに彼がいた。
彼が彼女の名前を道路を挟んだ反対側にいた私たちにまで聞こえるくらいの声で呼んだことで周りの視線に気付いた彼女が真っ赤な顔して彼に何か言っている。
追いついた彼は彼女の隣に並び謝りながら頭を撫でる。
「あれって遊久くんじゃないの!?」
一緒にいた友達にも気付かれ、友達も彼と彼女を見つめる。
「ねぇ、あれは浮気にはいらないの?」
その言葉がズシンときた。
今まで逃げてきたこと、気付かなかったバカな自分を突き付けられた気がした。
あたしだけじゃなかった。
それと同時に“終わり”という文字も浮かんだ。
友達が指差す先には膨れっ面の彼女に苦笑しながらも楽しそうに笑う彼。
何度話し掛けても無視されてるのに、それでも笑みは絶えない。
挙げ句、彼女の右手を自ら握り、真っ赤になる彼女を愛おしそうに見る。
一番印象に残ったのは彼女の笑顔。
あの笑顔を唯一見ることが出来るのは彼女のお兄さんと彼だけなのかもしれない。