短編集

「清羽、うちに来ない?」

店を出たあと、当然の流れのように言う。

「はぁ?」
「違うよ?!純粋に飲み直さない?って意味で言ったんだよ!?」

必死に説明した内容がちっとも純粋に聞こえないのはあたしの心が歪んでるせいなんだろうか。
しかも実家に帰るって言ったあたしの言葉を完全に忘れてる。

「ダメ?」
「ダメ。実家帰る」

あたしを見据える横を通り過ぎて駅に向かう。
でもそう簡単には帰らせてもらえないらしい。

「じゃあ!じゃあもう一軒!もう一軒だけ行こう。清羽の好きそうなバー見つけたから!」

今度はあたしの返事すら聞かず腕を引いて強引に歩きだす。
でもそれは最初だけで引く手の強さも優しいものになって決定権をあたしに委ねる。

こういうところがとてつもなくずるい。
いつだってあたしが追いかける側で睦月は追いかけてくるのを待ってる。

それでもよかった。
それでもいいと思うくらい睦月が好きだったし、そんな睦月の胸に飛び込んで安心してた。

「睦月」

抑揚ない冷たい言い方に睦月の足が止まる。
眉を下げてあたしを見てる視線が下がり、腕を掴んでいた手は掌へ変わる。
ギュッと握り黙ったまま。

「俺が悪いのはわかってる」
「………」
「俺にそんな資格ないのもわかってる」
「………」
「でも本当に、本気で俺は、清羽が好きなんだよ」
「浮気したのに?」

あたしの言葉に頭を上げ、泣きそうな顔で見つめられても少しも響いてこないあたしの心はきっと睦月への気持ちは消えてしまったんだろう。

「あれは、」
「あれは、なに?一時の気の迷い?男だったら誰でもする?本気で好きな相手がいても浮気は出来るって自分で証明したじゃない」

言い終わってから“言いすぎた”と気付いて後悔した。
もうあたし達は恋人じゃない。
こんなことを掘り返したって何の意味もない。

「ごめん」
「こっちこそごめん。忘れて」
「忘れるなんて……どうして清羽が謝るの」
「もうあたし達は付き合ってないんだよ。掘り返したあたしが悪い」

睦月は目を見開いて、でも視線は外さずあたしを見てる。
あたしも視線は外さず何か言いたそうな睦月の言葉を待った。

「もう俺達は無理?」
「無理だから別れたじゃん」
「清羽の信用を取り戻せるように頑張るから」
「だから?」
「だから、もう一度、俺と付き合って」
「それは無理だって何度も、」
「結婚しよう、清羽。ずっと俺の傍にいてほしいんだ」

今度はあたしが目を開く番だった。
冗談だと、あたしを繋ぐ為の口実だと、そう思いたかった。
だけど、睦月の視線が、言葉の強さが、そうさせてくれなかった。

「冗談で言ったんじゃないよ。本気でそう思ってる」

“付き合って”と言ったと思えば、どこでそうなったのか“結婚しよう”と言った睦月。
ただ茫然とするしかないあたしは睦月から視線を外して、ゆっくりと息を吐いた。

「……清羽」
「あたしはあんたを信用出来ない」
「わかってる」
「わかってるなら、」
「男を信用出来なくなった原因が俺なら、それを取り戻すのも俺だろ?俺にしか出来ないだろ?だから傍にいさせてほしい。絶対幸せにする。その自信はあるんだ」

手を引かれ、公衆の面前だということも忘れているのか、あたしは抱きしめられた。
横を向いた視線の先に通行人の好奇の目が痛くて目を閉じた。

耳から伝わる心臓の速さ。
自分のものとは比べものにならないくらい速かった。

自分の心臓は目を閉じて好奇の視線に触れても少しも変動しなかった。
だけど、睦月の言葉が素直に入りこんできたのは予想外だった。

睦月に浮気をされて少しばかり男性不信になった。
全く信用していないわけではないけど、当分の間は恋愛はいらないと思う程度にはなった。

その原因が睦月で、睦月のせいで男性不信になったのだから、それを治せるのは原因である睦月だけなのかもしれない。
優しい男に癒されて何事もなかったかのように信用するのも方法かもしれない。
だけどいずれはきっと心配になって不安を感じて疑って、やがて終わりが来るのかもしれない。
そう思えば睦月の言葉も一理あると思ってしまう。

「清羽、清羽」

ぶら下がる腕を背中に回すこともなく頭上から落ちてくる自分の名前に目を閉じてただ聞いているしかなかった。



END.

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