狂おしいほど惹かれてく(短編集)


 そして、現在。
 わたしはフランシスさんにくだけた日本語を教え、わたしはこっそりフランス語の勉強中。これはまだきっとバレてはいない。ちゃんと話せるようになったら、フランス語で愛を伝えたい。彼の生まれ育った国が見たいと伝えたい。そうしたら彼は、どんな顔をするだろうか。


 フランシスさんは元々びっくりするくらい完璧なレディーファーストだったけれど、びっくりするくらいのロマンチストでもあった。
 どこでもいちゃつきたがるし、往来での突然のキスや愛の言葉もお手の物。夜の生活はさらに情熱的で、何度も何度も耳元で愛を囁いてくれる。
 いつ、どこを好きになったかを、ストレートに伝えてくれたり。忙しくてなかなかふたりで過ごせなくても、たった数分会うために、わざわざ部屋に訪ねて来てくれたり……。

 そんな風に、わたしは彼からの愛を全身で感じながら、恋人としての毎日を過ごしていた。


 でも。ごくごく普通の一般市民であるわたしが学生時代から住んでいる、築三十年、木造二階建てのアパート、1K、八畳の和室にフランシスさんがいるという光景には、まだ慣れる様子がない。
 六畳のキッチンで、わたしの花柄のエプロンを着けて、手際良く料理をする姿にもまだ慣れない。

 その様子を部屋からじっと見つめていたら、視線に気付いたフランシスさんが振り返り、穏やかな顔で「愛しているよ」と。流れるようにそんなことを言う。
 まるで呼吸をするように毎日聞かされる愛の言葉だけれど、何度言われてもしっかり照れてしまうし、何度言われても安っぽくならないのは、言葉にちゃんと心が乗っているからだろうか。

 わたしもフランシスさんに倣って、この胸いっぱいの気持ちを伝えたいのだけれど。勉強中のフランス語で、Je t’aime au-delà de la raison.――考えられないほどあなたを愛しています、と。Je t'aime à la folie.――狂おしいほど愛している、と。Je ne peux pas vivre sans toi.――きみなしでは生きていけない、と。伝えたい、のに……。

 あの超絶美人で何でもできる完璧超人のフランシスさんに見つめられると、結局は照れてしまって、何ひとつ伝えられてはいない。

 そんなわたしの心中なんてすっかりお見通しのフランシスさんは、穏やかに笑って、わたしが照れずに気持ちを伝える日を待っていてくれる。
 でも今のわたしじゃあ、やっぱりまだ無理だから。

 フランシスさんの広い背中に抱きついて「夕食食べたら、しましょうか」と伝えるのが精一杯。

 言うとフランシスさんは優しくわたしの腰に腕を回し、首筋に軽くキスをしながら「ずいぶん大胆ですね」と笑うのだった。……確かに、愛の言葉を伝えるより、夜の営みに誘うほうが難易度が高いかもしれない。

 あの夜フランシスさんがした受胎告知はまだ果たされていないし、それが果たされるのはまだ当分先になるだろうけど。その日を夢見て、とりあえず今は、愛の言葉を伝えられるように頑張りつつ、彼からの愛を全身で感じていようと思った。





(了)
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