あなたに私は見えていますか
く元気もなくてぐったりしていた。保育器で腕に点滴をつけられ少しずつ回復してきました。
生まれてから4日後、初めて母に抱っこされ次の日には共に退院できました。
家に帰ったら親戚のみなさんが集まっていて笑顔で出迎えてくれました。
僕は恥ずかしくて母の胸に顔をうずめてました。
しかし、異変は退院したその日から起きていました。僕はちっちゃい体の割に大量にミルクを飲み、飲むだけ飲んで戻してしまいの繰り返しでした。
母の体の中にいる間にうまく栄養素が取れていなかったためか、目の前にある食べ物はお腹がいっぱいでも食べてしまうみたいで。周りの人は食べさせないようにするのが必死でした。
退院して一週間がすぎた日。
僕は40度を超えるくらいの高熱になり、お腹はパンパンに腫れてぐったりしてました。直ぐさま救急車で家から1時間かかる大学病院へ搬送されました。救急車の中では母の「ガンバレ。」の声が聞こえてました。救急車の後ろには父の運転する車に2歳になったばかりの兄を抱き抱えた祖母ものり病院へ追いかけてきました。病院では点滴の嵐。腕にはもうできなくなり足やお尻と至る箇所に注射や点滴を打たれていました。
熱はすぐに下がったもののやはり体は
生まれてから4日後、初めて母に抱っこされ次の日には共に退院できました。
家に帰ったら親戚のみなさんが集まっていて笑顔で出迎えてくれました。
僕は恥ずかしくて母の胸に顔をうずめてました。
しかし、異変は退院したその日から起きていました。僕はちっちゃい体の割に大量にミルクを飲み、飲むだけ飲んで戻してしまいの繰り返しでした。
母の体の中にいる間にうまく栄養素が取れていなかったためか、目の前にある食べ物はお腹がいっぱいでも食べてしまうみたいで。周りの人は食べさせないようにするのが必死でした。
退院して一週間がすぎた日。
僕は40度を超えるくらいの高熱になり、お腹はパンパンに腫れてぐったりしてました。直ぐさま救急車で家から1時間かかる大学病院へ搬送されました。救急車の中では母の「ガンバレ。」の声が聞こえてました。救急車の後ろには父の運転する車に2歳になったばかりの兄を抱き抱えた祖母ものり病院へ追いかけてきました。病院では点滴の嵐。腕にはもうできなくなり足やお尻と至る箇所に注射や点滴を打たれていました。
熱はすぐに下がったもののやはり体は