月へのスパート
7月15日、まだ梅雨が明けない曇り空の日、お昼の12時過ぎに、私の携帯電話に紗英の母親から連絡があった。紗英の容体が少し落ち着いたのでお見舞いに来てもいいとのことだった。紗英はこの時、既に瀬野市内にある国立療養所瀬野病院という病院に転院をしていた。幸いにも、瀬野市に大きな国立病院があり、紗英の治療もその病院で行うことが可能であったため、本人や家族の希望で地元の病院で治療を受けながら入院することができた。
この日は土曜日で、私はちょうどお昼までの学校の授業を終えたばかりであり、陸上の練習には行かずに、そのまま自転車を漕いで高校から瀬野病院まで向かった。病院に向かっている間、心臓がドキドキしていた。やっと紗英に会うことができるという喜びと、彼女の容体を心配するあまり不安でとても落ち着かない気分だった。自転車で向かっている途中、大通りの交差点に差し掛かり、横断歩道を渡ろうとするタイミングで信号が赤に変わった。イライラが募った。早く病院に着いて紗英に会いたい気持ちでいっぱいになり、赤信号の時間がとてももどかしくいつもより長く感じた。信号が青に変わる数秒前にフライングで自転車を漕ぎだした。そのまま瀬野通りを走り抜け、ようやく瀬野病院まで着いた。私は初めて瀬野病院の中に足を運びこんだ。病室の番号は紗英の母親から電話で教えてもらっていたが、うる覚えだったのと確認のために、私は受付の看護師さんに紗英のいる病室の部屋番号などを教えてもらった。紗英の病室は5階だった。普通、5階まで上がるともなればエレベーターを利用するはずだが、エレベーターを待つ時間すらもどかしく感じ、まだ高校生という若さであったため、私は急いで階段を駆け上がって5階まで上がった。そして、廊下を突き進み、紗英がいる503号室の病室の前へと着いた。病室のドアの左上のところに患者の名前が白のホワイトボードに書かれてあり、間違いなくそこには「清少紗英様」という文字が書かれていた。私は恐る恐るドアをノックしようとした。やっと目の前にいる紗英と会える状態になったのに、いざ、病室のドアを開けようとすると、私はなぜか怖くなってしまいドアの前で1分程突っ立ったままだった。そして、一旦深呼吸をしてからドアをノックして中に入った。病室の中に入ると、目の前には白のカーテンが設置されており、そのカーテンを右にかわすようにして奥まで入っていくと、そこには紗英の母親がベッドの前に座っていた。そして、その奥のベッドには仰向けで横たわった紗英がいた。
「紗英、大丈夫か?」
私は紗英に近づき、とても不安な気持ちで彼女にそっと声をかけた。彼女はじっと私を見つめてきた。
「修くん、来てくれた。よかった…」
紗英は頭に水色のニットの帽子を被っていた。髪の毛は全て剃られており全身に点滴を打たれたままで、今まで見たことのないような紗英の姿に私は驚きを隠せなかった。
「なんか、よく分からないの。私、なんで今ここにいるんだろうって感じ…」
あの日、紗英は緊急入院で大村東山病院へ救急車で運ばれた後、数時間後に頭の手術を受けていた。
「あのね…」
紗英は一瞬黙ってしまった。そして、その数秒後に口を開いた。
「私、頭に腫瘍があるんだって。手術では治らないってお医者さんに言われた…」
私は言葉を失った。紗英も再び黙ってしまった。私は驚きながら紗英の母親の顔を見た。紗英の母親も私の目を見るなり無言で頷いただけだった。
「どうして… 先生やみんなには言ったのか?」
私はなんと声をかけていいのか分からない気持ちだった。ただ、ひたすら正しい言葉を探すかのようにして紗英に声をかけた。
「今日、みんなにも私の病気のことを告知するってお母さんと決めたの。修くんにはね、どうしても私から直接言いたかったの」
紗英は落ち着いた様子で下を向きながら話した。
「なぁ、俺、どうすればいい? 正直、今よく分からないよ。なんでこんな風になっちゃたんだ…」
私はとにかく落ち着かなかった。椅子に座り込み、下を向いたまま自分の右手で何度も自らの髪をかき上げていた。
「修くん、心配しなくても大丈夫! 私はまだ生きてるんだから、病気なんてへっちゃら!」
紗英は脳腫瘍に侵されていた。彼女の病気は膠芽腫(こうがしゅ)という最も悪性のものであった。腫瘍が頭の中の奥深くにあり、頭の開頭手術で腫瘍を完全に取り除くことは不可能であった。治療方法は放射線療法と抗がん剤の併用しかなかった。紗英が入院直後に受けた手術は、腫瘍の一部を取り出すものであった。医師が腫瘍の一部を病理検査して、紗英の病名の診断を下したのだった。
私は、瀬野病院を出てから歩いて1人で家へと帰っていた。自転車で病院まで来たことなどすっかり忘れており、そのまま自転車を病院に置いたままだった。帰っている時の記憶など全く覚えていない。ただ、無意識のまま瀬野通りを歩き、自宅への帰路をたどっていた。夕方17時頃に家に着くと、母が夕飯を作っていた。
「おかえりなさい」
私が帰ってきたことに母が気付き声をかけてくれた。
「うん…」
私は、「ただいま」とも言う気力が無かった。そのまま無言で1人部屋へと行き、ぼーっとした時間を過ごしていた。20分くらい経ってから、さすがに母が私のことを心配して部屋のドアをノックして中に入ってきた。
「修ちゃん… どうしたの?」
母が心配そうに私を見つめ、部屋のじゅうたんの上に正座した。
「いや、なんて言っていいか分からない…」
私は母と目線を合わせることなく、ただ下を向いたまま小さな声で口を開いた。
「どうして? 何かあったの?」
母がさらに心配そうな表情になった。私は大きなため息をついた。
「紗英は… 脳腫瘍なんだって」
母が私の言葉を聞き黙り込んだ。そして、少し顔を震わせるようにして下の方を向いた。
「修ちゃん、紗英ちゃんはどんな状態なの? どのくらいまでしか生きられないとか言われたの?」
母が落ち着いたような声で私に聞いてきた。
「いや、何も聞いてないよ」
私は1人でため息と舌打ちを繰り返していた。そんな私の様子を数十秒ほど見ていた母は、だんだんと体を震えさえ、そして、急にその場を立ち上がった。
「あんたね、いいかげんにしなさいよ!」
母が突然、私の顔を見て怒って言ってきた。私はあまりにも不意をつかれて、ビックリして母の顔を見た。
「修の気持ちはお母さんだってよく分かるよ! でもね、あんた落ち込んでる場合じゃないでしょ! あんたは、紗英ちゃんが大きな病気だからって、そんな最初から簡単に諦めたような態度でいいの!?」
母は目に涙を浮かべて口元を震わせていた。私は母の言葉に返す返事が無かった。あまりにも1人の大人である母が言っていることが正しくて、まるで子供であった私は何も言い返すことができなかった。母は黙り込んだままの私を怒ったように見ており、そのまま勢いよく私の部屋から出ていった。私は、自分自身が病気になったわけでもないのに、こんなにも弱気な態度になってしまって自己険悪に陥った。母はきっと、そんな姿の私に対して許せない気持ちでいっぱいになったのだろう。その日の夜、気が付けば、私は部屋で1人寝ていた。それから、2日間くらいの間、母と会話をすることがあまり無かった。
この日は土曜日で、私はちょうどお昼までの学校の授業を終えたばかりであり、陸上の練習には行かずに、そのまま自転車を漕いで高校から瀬野病院まで向かった。病院に向かっている間、心臓がドキドキしていた。やっと紗英に会うことができるという喜びと、彼女の容体を心配するあまり不安でとても落ち着かない気分だった。自転車で向かっている途中、大通りの交差点に差し掛かり、横断歩道を渡ろうとするタイミングで信号が赤に変わった。イライラが募った。早く病院に着いて紗英に会いたい気持ちでいっぱいになり、赤信号の時間がとてももどかしくいつもより長く感じた。信号が青に変わる数秒前にフライングで自転車を漕ぎだした。そのまま瀬野通りを走り抜け、ようやく瀬野病院まで着いた。私は初めて瀬野病院の中に足を運びこんだ。病室の番号は紗英の母親から電話で教えてもらっていたが、うる覚えだったのと確認のために、私は受付の看護師さんに紗英のいる病室の部屋番号などを教えてもらった。紗英の病室は5階だった。普通、5階まで上がるともなればエレベーターを利用するはずだが、エレベーターを待つ時間すらもどかしく感じ、まだ高校生という若さであったため、私は急いで階段を駆け上がって5階まで上がった。そして、廊下を突き進み、紗英がいる503号室の病室の前へと着いた。病室のドアの左上のところに患者の名前が白のホワイトボードに書かれてあり、間違いなくそこには「清少紗英様」という文字が書かれていた。私は恐る恐るドアをノックしようとした。やっと目の前にいる紗英と会える状態になったのに、いざ、病室のドアを開けようとすると、私はなぜか怖くなってしまいドアの前で1分程突っ立ったままだった。そして、一旦深呼吸をしてからドアをノックして中に入った。病室の中に入ると、目の前には白のカーテンが設置されており、そのカーテンを右にかわすようにして奥まで入っていくと、そこには紗英の母親がベッドの前に座っていた。そして、その奥のベッドには仰向けで横たわった紗英がいた。
「紗英、大丈夫か?」
私は紗英に近づき、とても不安な気持ちで彼女にそっと声をかけた。彼女はじっと私を見つめてきた。
「修くん、来てくれた。よかった…」
紗英は頭に水色のニットの帽子を被っていた。髪の毛は全て剃られており全身に点滴を打たれたままで、今まで見たことのないような紗英の姿に私は驚きを隠せなかった。
「なんか、よく分からないの。私、なんで今ここにいるんだろうって感じ…」
あの日、紗英は緊急入院で大村東山病院へ救急車で運ばれた後、数時間後に頭の手術を受けていた。
「あのね…」
紗英は一瞬黙ってしまった。そして、その数秒後に口を開いた。
「私、頭に腫瘍があるんだって。手術では治らないってお医者さんに言われた…」
私は言葉を失った。紗英も再び黙ってしまった。私は驚きながら紗英の母親の顔を見た。紗英の母親も私の目を見るなり無言で頷いただけだった。
「どうして… 先生やみんなには言ったのか?」
私はなんと声をかけていいのか分からない気持ちだった。ただ、ひたすら正しい言葉を探すかのようにして紗英に声をかけた。
「今日、みんなにも私の病気のことを告知するってお母さんと決めたの。修くんにはね、どうしても私から直接言いたかったの」
紗英は落ち着いた様子で下を向きながら話した。
「なぁ、俺、どうすればいい? 正直、今よく分からないよ。なんでこんな風になっちゃたんだ…」
私はとにかく落ち着かなかった。椅子に座り込み、下を向いたまま自分の右手で何度も自らの髪をかき上げていた。
「修くん、心配しなくても大丈夫! 私はまだ生きてるんだから、病気なんてへっちゃら!」
紗英は脳腫瘍に侵されていた。彼女の病気は膠芽腫(こうがしゅ)という最も悪性のものであった。腫瘍が頭の中の奥深くにあり、頭の開頭手術で腫瘍を完全に取り除くことは不可能であった。治療方法は放射線療法と抗がん剤の併用しかなかった。紗英が入院直後に受けた手術は、腫瘍の一部を取り出すものであった。医師が腫瘍の一部を病理検査して、紗英の病名の診断を下したのだった。
私は、瀬野病院を出てから歩いて1人で家へと帰っていた。自転車で病院まで来たことなどすっかり忘れており、そのまま自転車を病院に置いたままだった。帰っている時の記憶など全く覚えていない。ただ、無意識のまま瀬野通りを歩き、自宅への帰路をたどっていた。夕方17時頃に家に着くと、母が夕飯を作っていた。
「おかえりなさい」
私が帰ってきたことに母が気付き声をかけてくれた。
「うん…」
私は、「ただいま」とも言う気力が無かった。そのまま無言で1人部屋へと行き、ぼーっとした時間を過ごしていた。20分くらい経ってから、さすがに母が私のことを心配して部屋のドアをノックして中に入ってきた。
「修ちゃん… どうしたの?」
母が心配そうに私を見つめ、部屋のじゅうたんの上に正座した。
「いや、なんて言っていいか分からない…」
私は母と目線を合わせることなく、ただ下を向いたまま小さな声で口を開いた。
「どうして? 何かあったの?」
母がさらに心配そうな表情になった。私は大きなため息をついた。
「紗英は… 脳腫瘍なんだって」
母が私の言葉を聞き黙り込んだ。そして、少し顔を震わせるようにして下の方を向いた。
「修ちゃん、紗英ちゃんはどんな状態なの? どのくらいまでしか生きられないとか言われたの?」
母が落ち着いたような声で私に聞いてきた。
「いや、何も聞いてないよ」
私は1人でため息と舌打ちを繰り返していた。そんな私の様子を数十秒ほど見ていた母は、だんだんと体を震えさえ、そして、急にその場を立ち上がった。
「あんたね、いいかげんにしなさいよ!」
母が突然、私の顔を見て怒って言ってきた。私はあまりにも不意をつかれて、ビックリして母の顔を見た。
「修の気持ちはお母さんだってよく分かるよ! でもね、あんた落ち込んでる場合じゃないでしょ! あんたは、紗英ちゃんが大きな病気だからって、そんな最初から簡単に諦めたような態度でいいの!?」
母は目に涙を浮かべて口元を震わせていた。私は母の言葉に返す返事が無かった。あまりにも1人の大人である母が言っていることが正しくて、まるで子供であった私は何も言い返すことができなかった。母は黙り込んだままの私を怒ったように見ており、そのまま勢いよく私の部屋から出ていった。私は、自分自身が病気になったわけでもないのに、こんなにも弱気な態度になってしまって自己険悪に陥った。母はきっと、そんな姿の私に対して許せない気持ちでいっぱいになったのだろう。その日の夜、気が付けば、私は部屋で1人寝ていた。それから、2日間くらいの間、母と会話をすることがあまり無かった。