月へのスパート
 7月の終わりから8月にかけて、私は練習後に紗英のお見舞いにほぼ毎日行っていた。彼女の容体は決して悪くなるということはなかった。また、私の足の怪我もなかなか完治には至らなかった。大橋整形外科にも2週間おきに通院した。毎回レントゲンを見るたびに、骨の様子はほとんど変化していなかった。
「やはりね、疲労骨折はなかなかしぶといでしょ? ジョギングはもう少し我慢したほうがいいです」
「先生、もうすぐ8月ですよ。間に合いますか?」
「8月までには走れるようになるだろうと言ったのですが、もしかしたら、8月中も厳しいかもしれません」
大橋先生は落ち込む私をいつも励ましてくれていた。
 8月9日、夏休みの約半分が過ぎ、この日は瀬野高校の登校日だった。帰りのホームルームが終わった後、服部先生が私を呼び出した。
「佐藤、清少のとこに行くだろう? これを渡してくれ」
私が先生から渡されたのは数学のセンター試験の過去問だった。
「とりあえず、去年の分から5年分ある。清少は2次が必要ないだろうからセンターに集中してくれと言っておいてほしい。特に三角関数とベクトルはここ数年難しくなってるから念入りに、とな」
「先生、ありがとう」
「ただ、あくまでも、勉強より病気の治療に専念してくれと伝えてほしい。まずは体調を良くしないと元も子もないからな。佐藤、お前はセンターだけでなく2次対策もしっかりとな。2次は何よりも数三が勝負だぞ」
 私は高校から歩いて瀬野病院へと向かった。夏の日差しが強く当たり歩いているだけで汗が滲み出ていた。お昼時の瀬野通りは交通量がとても多く、街中は車の排気ガスが充満しており余計に暑く感じた。瀬野病院に着いて入口から中に入ると、空調の涼しさでほっと一息安堵した。紗英の病室に向かい中へと入った。紗英は女性の看護師さんと一緒にリハビリで歩行トレーニングをしていた。
「どう調子は?」
「うん、少しずつ自然と歩けるようになったよ」
「そうか、良かったな!」
私が病室に入ってから20分くらいの間、紗英は歩行トレーニングを続けていた。高さ70センチくらいの鉄の棒が2本並べて置かれてあり、紗英はその棒を1本両手で掴みながら横歩きをしていた。看護師さんが常に「1、2、1、2」と紗英を支えるようにして声をかけていた。その後は、2本の棒を両手でそれぞれ掴み前歩き後ろ歩きを繰り返し、さらには、棒を掴まないで独歩を行い、病室を出て廊下を行ったり来たりしていた。日に日に、紗英の体の機能は回復している様子であり、私はそんな紗英の姿を見ていて、ホッと安心した気持ちになっていた。無事にその日の歩行トレーニングが終わり、看護師さんが病室を出て、私と紗英は病室で2人きりになった。
「お疲れ様。だいぶ歩けるようになって、俺、本当に安心したよ!」
「うん、まだまだだけど頑張る! 棒もね、使わないでほとんど1人で歩けるようになったんだよ!」
紗英は私の顔を見て嬉しそうな表情をしていた。
「大丈夫! 紗英ならすぐに回復するさ! そうそう。そう言えばね、さっき学校で、服部先生が紗英にこれを渡してくれって」
私は鞄の中から、服部先生から預かった数学のセンター試験の過去問を取り出し、それを紗英に見せて渡した。
「ありがとう。先生、優しい。頑張らないとな」
「でも、先生は勉強よりも治療に専念してほしいって言ってたよ」
「私、いろいろと頑張る。ねぇ、修くん、来週ね、1日だけなら外出してもいいってお医者さんから言われたんだよ!」 
「ほんと? やったな!」
「うん! でも、激しい運動は絶対したらダメだって。走ったりするのは無理だよ」
私と紗英はそのまま病室で16時頃まで勉強をして一緒の時間を過ごし、私は病院を出て自宅へと帰った。
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