ハニートラップにご用心
「新婦様。そろそろ移動のお時間となりますが、式の前に新郎様にお披露目致しますか?」
「は、はいっ!」
それまで黙って扉の近くで背筋を伸ばし、微動だにせず立っていたスタッフの方がそっと声を掛けてきた。私は勢いよく首だけをそちらに向けて返事をする。首の筋が少しだけ痛い。
スタッフさんが席を外して数秒、扉をノックされて返事をした。
「……千春?」
扉が開くのと同時に聴こえた愛しい人の声に、一瞬胸がいっぱいになって言葉に詰まってしまった。
カツ、床を鳴らす音が耳に、エナメルの黒い靴が視界に入ってきて私は顔を上げた。
「っ、かっ……」
かっこいい、言いかけた言葉は喉のあたりでため息となって消えた。
限りなく白に近いクリーム色のタキシード。襟やタイが落ち着いたブラウンで統一され、中に着ているベストも同様の色で縦線のデザインを施されている。
いつものスーツ姿も素敵だけど、タキシードを着ている姿は妙な落ち着きがあるというか、色気が凄まじい。普段は下ろされている前髪も今はかっちりと後にセットされて、その端正な顔立ちが強調されている。
感動とときめきのあまりに口元を押さえて俯くと、頭上から影がかかった。
「千春、綺麗だ」
骨ばった大きな手が私の頬に軽く触れてきて、私は誘われるようにして顔を上げた。
丁寧に磨き抜かれた宝石のような黒い瞳が私を捉えている。それを縁取る切れ長の目。土田さんの方が身長が高いために、自然と彼が私を見下ろす形になる。
私を見るために少し伏せられたまつ毛が頬に影を落として不思議な色香を漂わせる。すっと通った鼻筋を辿って視線を落としていくと、薄く開かれた唇から少しだけ赤い舌が覗いて私は息を呑んだ。
「どうしよう、かっこいい……」
あまりのカッコ良さに我慢出来ずに涙を零すと、土田さんは苦笑いをして私の頬に唇を軽く押し付けた。柔らかな舌先が私の涙をすくう。
「ん、苦いな」
「お化粧してるから当たり前です……」
恐らく化粧品の成分が混ざっているであろう涙を舐めたんだ。土田さんは普段から私が化粧をするのを良しとしない。
だからといって特別禁止されるわけではないから不思議に思って、以前に理由を聞いてみたところ「キスした時に苦いから」と返答され、羞恥で卒倒しそうになった記憶がある。
記憶の引き出しを開けられて、ふと思い出した記憶に意識を取られていると、唇についばむキスをされた。
「な、なんですか……」
突然のスキンシップに戸惑いの声を上げると、土田さんはくつくつと喉を鳴らして笑った。
「式の最中に千春がテンパらないように、リハーサル」
土田さんは花が綻ぶ瞬間のように綺麗に笑ったかと思うと、もう一度私の唇に吸い付いた。