魚のまね
「こっちは溺れたかと思って心配したんだけど」


冷蔵庫から発泡酒を2本取り出し、バタンと閉める。


そして台所から戻ったら、待ち構えていたようにまたブツブツ説教が始まった。


「うん、ちょっと溺れてたかも」

「アホ野郎」

「だからごめんって」


言いながら、発泡酒を手渡す。


「ほんとに、しょうがないんだから。まったく」


ブツブツ説教を続けながら、彼は缶のプルタブをプシュッと開け、ごくごくと豪快に飲みだす。


わたしも発泡酒のフタを開けながら、そんな彼を横目で見遣る。


(……はあ、いたたまれない)


でも、叱られながら少しだけホッとしているのを感じた。


今日は取り立てて何かがあった訳じゃない。


そう、今日は本当に何もなかった。


ただ、ふと、こんな生活ももう潮時かなと思っただけだ。


好きな音楽活動をするために、大学を卒業した時に、あえて就職しなかった。


シフト制で自由のきく派遣の仕事でそれなりに給料を貰い生活してきた。


有名になりたいとかじゃなく、ただ純粋に音楽を聴いてもらえるのが楽しかった。


でも、最近は将来のことをよく考える。


それは、こないだ久しぶりに会った、同じく音楽をやっている学生時代憧れだった先輩の思いがけず、くたびれた姿を見たからかもしれない。


それは、次々と後に続く若い子達の勢いに、自分の限界を感じたからかもしれない。


それは、結婚を期にバンドを辞めていった仲間から子供の写真を見せられて、あなたもそろそろ将来を考えたほうが、という言外の響きを感じたからかもしれない。


それは。


いや、それらは全て理由にならない。以前の自分だったら、そんなことでは、びくともしなかった。それぐらい自分のやっていることに自信があったから。


本当は、今の自分がなあなあで、音楽をやっていることにもう気付いているからだ。



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