天使と悪魔の攻防戦(短編集)
そのとき、どこからか声が聞こえてきた。二人分の声だ。
ひとつは低音でとても邪悪な、まるで悪魔のような声。
もうひとつは高音で清らかで、まるで天使のような声だった。
わたしの中の天使と悪魔が、誘惑と制止をしているのかもしれない。
悪魔の主張はこうだ。
「ダイエットがなんだ、食っちまおうぜ。うまいぞー、甘いぞー、疲れたときは甘いものだぞー。食っちまえよ、ほらほら。このままじゃ部屋も狭いだろ?」
確かにそうだ。疲れたときは甘い物に限る。甘いものを食べると幸せになれる。それでいて部屋も片付くなら一石二鳥だ。
一方、天使の主張はこう。
「我慢は身体に良くないわよ。去年仕事で我慢し過ぎて突然大泣きしたのを忘れたの? 賞味期限もあるし、部屋の隅にこんなに置いていたら埃かぶっちゃうわよ。そうなる前に、全部食べちゃいなさい」
って……。どっちの主張も同じじゃないか! どっちも悪魔じゃないか! もう!
深く息を吐いて、もういい食べてしまおう、と腰を上げる、と。
わたしの後ろに、スーツ姿の男が立っていた。わたしの恋人、桂志くんだった。
「……何やってんの?」
「仕事終わって、里穂の部屋に来て、里穂の後ろに立ってる」
「どうやって、入ってきたの?」
「鍵開いてたから、普通にドア開けて」
「もしかして、天使と悪魔の声やってたの、桂志くん?」
あっけらかんとした表情のまま、高温で清らかな声で「うん、上手いだろ」という桂志くんの太ももをぱちんとたたいて、こたつに逆戻り。
天使と悪魔の誘惑だと思ったら、恋人の誘惑だった。「付き合い始めた頃より丸くなったな」と言い放った恋人の誘惑だった。
なら結論は簡単だ。食べない。部屋が狭かろうが、ゆっくり時間をかけて、一日一個ずつ、賞味期限ぎりぎりまで食べ続けてやる。