直さんと天くん
01
コンビニのアルバイトを始めて2年になる。

大学を卒業したものの採用試験は不採用続きで、就職先が決まらなかった。
周囲が次々就職先を決めていき焦っている時に偶然目にした市の広報誌の求人欄に載っていた図書館の臨時職員の仕事に応募して、採用され2年を過ごした。

元々司書を目指していたわけではなかったが、在学中に司書課程の授業を履修していたので、資格は取得していた。

2年間働いて図書館業務の大体の勝手はわかっているし、経験者なら採用されやすいだろうと思い、翌年の採用試験を受けた。

なんとか合格して、ようやく就職。
図書館で3年間非常勤の司書として働いた後、任期満了につき退職。

その後は特にやりたい事もなく、というか、何もやる気が起きなくて、自宅から一番近いコンビニでアルバイトをしている。

再就職を考えて求人サイトを開いてはみるけれど、やりたい仕事が見つからず、やれそうな仕事も見つからず、結局同じ毎日を繰り返して、時間だけが過ぎていた。

名は体を表す、と言うが、直という名前のわりに、私の人生は真っ直ぐにはいかない。
直線道路じゃなくて、迷路みたいな人生だ。

自分にも、自分の人生にも、自信喪失している29歳の秋。


そいつは突然現れた。


その日、シフトが一緒だった浜路さんのケータイが鳴ると、いつも元気で明るい浜路さんの顔色が曇った。

娘さんからのメールで、風邪で寝ていたお兄ちゃんの具合が悪化しているとの事だった。
お父さんはまだ仕事から帰れず、家には他に人がいない。

どうしよう、と顔を顰める浜路さんに、帰っても大丈夫ですよと言った。

時刻は夜9時半を回った頃。

郊外にある新興住宅地の入口に建っているこのコンビニの利用客は近隣住民か近くの建設現場で働いている人が大半で、食事時間と帰宅時間を過ぎると客足は一気に減る。

それにもうすぐ、交代の山吹さんと菊池さんが来る。

でも…と申し訳なさそうにしている浜路さんに、一人でもなんとかなるからと言い聞かせて、背中を押して送り出した。

交代の時間まであと15分を切った。

店内に客はなく、駐車場もがらんとしている。

この分なら、よっぽど運悪く強盗でも来ない限り大丈夫だろう。

レジ付近のパンが並んでいる棚の前にしゃがんで、散らかった商品を直したり、陳列されている商品の減り具合を見て補充した方がいいものがないか見ていた。

不意に、かたっ、と小さな物音がした。

立ち上がって辺りを見渡すが、誰もいない。
再び静まり返る店内。

…なんだ?気のせいか?

首を傾げて、再度棚のチェックに戻るべくしゃがみこんだ、そのとき。


「こんばんは」


すぐ横で声がした。

振り向くと、隣に男がしゃがみこんでいた。

「うおぉっ」

驚いて思わず声を上げてしまった。

仰け反って、転がりそうになる。


何だこいつ!いつからいた!?

全然気が付かなかったけど、入店チャイム鳴ったか…!?


「い、いらっしゃいませ…!」

立ち上がって、レジの前まで後退りながら、無理矢理営業スマイルを作った。

男はにこにこ笑いながらこちらを見ている。

ふわっとした飴色の髪。
前髪の下から覗く、アーモンド形の目。
小麦色に焼けた肌に、小さな顔。
片耳に金色のピアスが揺れている。
年は10代後半から20代前半。
ゆったりした白いシャツと、青いジーンズを履いて、なぜか手にはススキを持っていた。

立ち上がると、キョロキョロ落ち着きなく店内を見回す。

なんだ?
コンビニが珍しいのか?いやいや、今時そんなヤツいる?
てか、なんでススキなんか持ってんだ?

「…あの、何かお探しですか?」

黙っていると尚更恐いような気がして、声をかけた。

男はくるっとこちらを振り向くと、とろけるような笑顔を見せた。

「はい!お姉さんを探してました!」

お、お姉さん…?

にこにこしながら私を見ている男。

…ああ、お姉さんって、私か!

「わ、私、ですか?」
「はい!」

笑顔で元気良く頷く。

…それは、なんでまた?

見たところ、常連客ではない。初めて見る顔だ。

探される覚えはないんだが…。

「お姉さん!」
「へいっ?」

寿司屋か、と自分でもツッコミたくなるような返事をしてしまった。

「僕の名前は天といいます。お姉さんのお名前は?」

な、名前?

男はにこにこしながら私を見ている。
どうやら返事を待っているようだ。

しかし、29年の人生で培われたカンが私に警告していた。

こいつに名前を教えてはいけない、と…!

個人情報をほいほい他人に口外しちゃいかん…!

それになにより、いくらイケメンでも、いい年してススキ持ってるヤツはやべぇだろう…!

「…な、名前、ですか…え〜っと…え〜…」

言い淀んでいる間も、笑いながら、真っ黒な瞳が一途に私を見ている。

いやいや空気読めよ!
わかるだろ!教えたくねぇんだよ!
ここまで「…」多かったら気付くでしょうが!何なんだこいつ!

だっ、誰か〜!!


「お疲れ様で〜す」

のほほ〜んとした声が店内に響いた。

カウンター奥のドアが開いて、山吹さんが入って来た。

山吹さんは定年退職後にここで働いている、いつも笑顔で穏やかなおじさんだ。
他にもう一人、菊池さんという、こちらも定年退職したちゃきちゃきしたきっぷのいいおじさんがいる。

これで助かった…!

「山吹さん!いいところに!」
「お〜、直ちゃん。聞いたよ、浜路さんとこ、息子さん具合悪くなっちゃったんだって?大変だねぇ」
「そうなんすよ!って、それはともかく…」

ほっとして、振り向いたら、そこに男はいなかった。

「あ、あれ?」
「どうしたの?」
「いや、さっきまでそこに…」

棚を一列一列見ながら店内を歩いたけど、男の姿はどこにもない。

出入口はぴったり閉まっていて、開閉された後の揺れもない。

チャイムも聞こえなかった。…壊れてんのかな。

「どうしたんだい直ちゃん。狐に摘ままれたような顔して」
「いや…何でもないっす…」


その後菊池さんも来て、私は上がった。

帰り道を歩いていると、歩道の横のススキ畑が目に入った。
夜の闇の中に、無数のススキが白くぼんやり浮かび上がって、秋風にそよそよ揺れている。

もしかして、この辺に住んでる子か?
でも、私29年ここに住んでるけど、1度も見かけたことない子だったよな…。

「まさか本当に狐だったりして…」

呟いた声が、ひと気のない寂しい夜道に響いた。
背筋が寒くなる。

ばっ、と後ろを振り返った。

…誰もいない。
街灯の白い光が道を照らしているだけ。

いやいやいや!何を本気でびびってんだ…!

大体、この時間帯怖いのは狐じゃなくて、変質者とか通り魔とか、人間の方だっての!

早く帰ろ!

足早に家路を急いだ。
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