直さんと天くん
呆気にとられてフリーズしていると、男は聞こえていないと思ったのか先程より声を大きくして言った。

「金を出せと、いってんだ…!」

男が上着のポケットから果物ナイフを取り出して、眼前に突きつける。

聞き間違いでも冗談でもなく、本当に強盗だ…。

「…わ、かりました。今、出します…」

レジを開けて札を全部取り出す。
札束と呼ぶには薄い枚数だ。

「…これで全部です」

強盗は、差し出したお金をひったくるようにして取って、すかさずこう言い放った。

「両手は上に挙げておけ」

渋々両手を挙げる。
こうなると、カウンター内部にある非常時に警察に通報ができるボタンは押せそうにない。

強盗は札の枚数を数えている。

その最中、店内奥のドア中央の縦長の硝子部分に山吹さんの影が映った。

片手に書類を持って、読みながら通路を歩いてくる。
店内の状況には気付いていない。
山吹さんは何も知らずドアを開けてこちらに出てこようとしている。

出てきちゃダメだ。
相手は刃物持ってるんだから、危ない。

ドアの前に来たところで山吹さんが立ち止まり書類から顔を上げた。

細い縦長の硝子窓越しに目が合う。

山吹さん!こっちに来ちゃダメっす!

声にすることはできないので、強い視線を送って首を横に振ってみる。
強盗に気付かれないように小さく。

山吹さんはきょとんとした顔で首を傾げたが、私の前に立っている黒ずくめの男が札を数えている姿、そしてその片手にキラリと光るナイフが握られているのが見えると顔色が変わった。

山吹さんは首を縦にコクコク振って、耳元で片手の親指と小指だけを立てた電話のジェスチャーをしてみせた。
警察に通報する、ということだろう。
そのままゆっくりと身を屈めると、音を立てないように奥へ戻っていった。

裏口からなら店の外に出られる。

よかった。これで山吹さんは大丈夫だ。

お札を数え終えた強盗がこちらに振り向く。

「…これしかないの?」
「それで全部です。なんなら小銭も持ってきます?」
「隠してるんじゃないのか?」
「本当にそれだけですって。こんな田舎のコンビニだもん、大金なんてないですよ」
「嘘を言ってるんじゃないか?」
「嘘なんか言ってないですよ、本当ですって」
「隠してるんだろ、出せ」

果物ナイフを顔の前に突きつけられる。

絶体絶命。
冷や汗が出て、鼓動が早くなる。

その反面、頭の隅では冷静にこの状況を俯瞰している自分がいた。

今ここにいるのが私でよかった。

山吹さんと浜路さんと菊池さんにはパートナーとお子さん達がいる。
山吹さんと菊池さんには小さなお孫さんだっている。
何かあったら、悲しむ人がたくさんいる。

私は独り身だから…って、そうとも言えないな。
私にも母さんがいて、ばあちゃんがいて、しばらく顔を見ていないが単身赴任中の父さんがいる。
けれど、他の人がナイフを突きつけられるよりは、私がナイフを突きつけられる方がましな気がした。

もしここで万が一、このまま命を落とすことになったとしても、この年まで生きて来られたなら充分じゃないか?

家族は悲しむだろうけど、それでもまだ、他の人よりはいいと思うんだ。

一つだけ、心残りがあるとすれば、天くんのことだ。

告白の返事をまだしていないし、あいつは何か秘密を抱えているようなところがあるから、心配だ。

不意に、観覧車の中で天くんが言った言葉が頭をよぎる。


ー何かあったら、いつでも僕のこと呼んでくださいー

ー直さんが僕の名前呼んだら、僕、どこにでもすぐに飛んでくからー


スーパーマンじゃないんだから、現実にはそんなこと不可能だけど、そう言ってくれる天くんの気持ちが嬉しかった。

あの言葉が本当なら、本当にそんなことができるなら、名前を呼んだら飛んで来てくれるのかな。

あの時私は、天くんなら本当にできそうだって言って笑ってた。

天くんはいつも突然現れたから。
不思議なほど私のピンチを救ってくれたから。

もし私の心の声が届くなら。


天くん。
助けに来て。


不意に店内の照明がチカチカ点滅して、私も強盗も天井を見上げた。

その時だった。

「直さん…?」

天くんの声が聞こえた。
< 19 / 30 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop