直さんと天くん
声がした方向に振り向くと、出入口の扉を背にして天くんが立っている。
目を疑った。
嘘だろ…本当に来た…。
だけどいつの間に?
入店チャイムの音は絶対に鳴らなかった。
「なっ、なんだおまえ!いつからそこにいた!?」
驚いた強盗が声を荒げる。
明らかに動揺している声だ。
天くんは強盗の問いかけには耳を貸さず、小首を傾げて強盗を指差すと口を開いた。
「直さん、この人誰ですか?」
「さ、さぁ…誰だろう…」
天くんの視線が私から強盗に移る。
「おじさん、誰?直さんに何してるんですか…?」
低くて、ぞっとするほど静かで、冷たい声だった。
鳥羽色の瞳が強盗をじっと見つめる。
表情は無表情で、感情が一つも読み取れない。
いつもの笑顔の天くんとはあまりにかけ離れている。
こんな天くんは今まで目にしたことがない。
天くんが放つただならぬ空気が伝わったようで強盗がたじろぐ。
無理もない。
睨みつけているわけでもないのに、私でさえ圧倒される威圧感を放っている。
天くんの強盗を凝視する眼差しは氷のように冷たく、瞳は星一つない夜空の漆黒の闇のようだ。
どうしちゃったんだよ、天くん…。
その暗い瞳を見ていると、まるで底が見えない深い井戸の中を覗き込んでいるような気分にさせられる。
…この目、何かに似てる…。
天くんが一歩前に足を踏み出す。
すかさず強盗が私の首元にナイフを突きつけた。
「く、来るな!これが見えないのかっ、近寄ったら切るぞ!」
強盗の手が小刻みに震えている。
おそらく脅しているだけで本当に切る気はないんだろうけど、手が震えているからうっかり切りかねない。
天くんが強盗をじっと見据えたまま口を開く。
「おじさん、黄色のエプロンした女の人は誰…?おじさんがこんなことしたら、きっと悲しみますよ…」
その言葉を聞いた途端、強盗の手の震えが先程よりも大きくなった。
サングラス越しでも衝撃と恐怖に目を見開いているのがわかる。
「お、おまえ…なんで、それを…」
強盗が震えながら呆然と呟く。
「その人が言ってます。こんなことしちゃいけない、やめなさいって。…ああ、おじさんのお母さんですね?」
「う、嘘だ…!そんなの、嘘に決まってる…!ありえない…!」
強盗は明らかに動揺していて、口では否定しても本心ではそう思えていないのが見て取れた。
天くんの足がまた一歩、こちらに近付く。
それを見て強盗は我に返ると、ナイフをぐっと私の首に押し当てた。
「来るな!ほ、本当に切るぞ!」
ナイフの切っ先が皮膚に食い込んで、ぷつりと血が滲み、一つの筋になって首元を伝い落ちる。
それを見た天くんは両目を見開いてから、すうっと目を細めた。
その瞬間、周囲の気温が急激に下がったような気がして、ぞくっと背筋に悪寒が走る。
そうしてゆっくりと開かれる唇と、そこから発せられる、低くて冷たい声。
「直さんを傷付ける人は、許さない」
横で強盗がひっと息を飲む。
…思い出した。
この目、何かに似ていると思ったら、鴉だ。
子供の頃、夕暮れ時になると通学路にある神社の前を通るのが怖かった。
赤く染まった空を背景にして、暗い神社の前にそびえ立つ鳥居は異世界の入り口のように見えた。
鳥居の上に留まった一羽の鴉がぎゃあぎゃあ鳴いて、その禍々しい響きに胸騒ぎがした。
何か良くないことが起きるような気がして、得体の知れない不安を感じたのを覚えている。
…今の天くんの目は、あの鴉に似てるんだ。
店内の照明が再び点滅し始める。
強盗は最早蛇に睨まれた蛙のようだった。
天くんがまた一歩前に足を踏み出す。
強盗の肩がびくりと跳ねて、震える手からナイフが滑り落ち、音を立てて床に転がる。
一歩、また一歩とゆっくりと強盗に歩み寄っていく天くん。
強盗は腰を抜かして床に尻餅をついた。
後退りして、背後の棚に背中がぶつかる。
ぶつかった衝撃で棚に並んでいたおにぎりが幾つか落ちて床に散らばった。
天くんが腕を振り上げる。
まずい。
このままじゃ、こいつ、手を…!
「天くんストップ!!」
慌ててカウンターを飛び出して、振り上げた天くんの腕に飛びついた。
「大丈夫だから!私は大丈夫だから!もういい!この人もう戦意喪失してるから!」
天くんがぽかんと口を開けて私の顔を見た。
漆黒の闇のようだったその瞳に、徐々に星のような光が戻ってくる。
「直さぁ〜ん」
がばっと勢い良く抱きつかれる。
よろけて天くん諸共その場に座り込んだ。
「よ、よしよし、大丈夫だって」
背中に手を回してぽんぽん叩いてやる。
天くんが首を横に振った。
「大丈夫じゃないです」
血の滲んだ首を指先でそっと撫でられる。
「ちょっと血が出たくらいだよ、これくらいどうってことないって」
私の言葉に天くんがまた首を横に振る。
ぱさぱさと髪が揺れるのと同時に、小さな宝石のような涙の粒が光りながら零れ落ちる。
「直さんが怪我したら、僕の心が痛いです」
天くんの言葉に胸が詰まった。
他の人と同じように、私にも、私に何かあったら傷付く人がいる、悲しむ人がいるんだ。
自分一人で生きているわけじゃないって、わかっているつもりでもわかっていなかった。
この年まで生きられたんだから充分だなんて考えたけど、充分なんてないのかもしれない。
死ぬ覚悟とかしちゃったけど、やっぱり死ななくてよかった。
「…ごめんな、天くん」
すん、と鼻を啜りながら肩に頭を寄せてくる天くんを抱きしめる。
…と、不意に啜り泣く声がして、振り向いたら強盗が泣いていた。
おいおい、勘弁してくれよ…泣きたいのはこっちだって…。
目を疑った。
嘘だろ…本当に来た…。
だけどいつの間に?
入店チャイムの音は絶対に鳴らなかった。
「なっ、なんだおまえ!いつからそこにいた!?」
驚いた強盗が声を荒げる。
明らかに動揺している声だ。
天くんは強盗の問いかけには耳を貸さず、小首を傾げて強盗を指差すと口を開いた。
「直さん、この人誰ですか?」
「さ、さぁ…誰だろう…」
天くんの視線が私から強盗に移る。
「おじさん、誰?直さんに何してるんですか…?」
低くて、ぞっとするほど静かで、冷たい声だった。
鳥羽色の瞳が強盗をじっと見つめる。
表情は無表情で、感情が一つも読み取れない。
いつもの笑顔の天くんとはあまりにかけ離れている。
こんな天くんは今まで目にしたことがない。
天くんが放つただならぬ空気が伝わったようで強盗がたじろぐ。
無理もない。
睨みつけているわけでもないのに、私でさえ圧倒される威圧感を放っている。
天くんの強盗を凝視する眼差しは氷のように冷たく、瞳は星一つない夜空の漆黒の闇のようだ。
どうしちゃったんだよ、天くん…。
その暗い瞳を見ていると、まるで底が見えない深い井戸の中を覗き込んでいるような気分にさせられる。
…この目、何かに似てる…。
天くんが一歩前に足を踏み出す。
すかさず強盗が私の首元にナイフを突きつけた。
「く、来るな!これが見えないのかっ、近寄ったら切るぞ!」
強盗の手が小刻みに震えている。
おそらく脅しているだけで本当に切る気はないんだろうけど、手が震えているからうっかり切りかねない。
天くんが強盗をじっと見据えたまま口を開く。
「おじさん、黄色のエプロンした女の人は誰…?おじさんがこんなことしたら、きっと悲しみますよ…」
その言葉を聞いた途端、強盗の手の震えが先程よりも大きくなった。
サングラス越しでも衝撃と恐怖に目を見開いているのがわかる。
「お、おまえ…なんで、それを…」
強盗が震えながら呆然と呟く。
「その人が言ってます。こんなことしちゃいけない、やめなさいって。…ああ、おじさんのお母さんですね?」
「う、嘘だ…!そんなの、嘘に決まってる…!ありえない…!」
強盗は明らかに動揺していて、口では否定しても本心ではそう思えていないのが見て取れた。
天くんの足がまた一歩、こちらに近付く。
それを見て強盗は我に返ると、ナイフをぐっと私の首に押し当てた。
「来るな!ほ、本当に切るぞ!」
ナイフの切っ先が皮膚に食い込んで、ぷつりと血が滲み、一つの筋になって首元を伝い落ちる。
それを見た天くんは両目を見開いてから、すうっと目を細めた。
その瞬間、周囲の気温が急激に下がったような気がして、ぞくっと背筋に悪寒が走る。
そうしてゆっくりと開かれる唇と、そこから発せられる、低くて冷たい声。
「直さんを傷付ける人は、許さない」
横で強盗がひっと息を飲む。
…思い出した。
この目、何かに似ていると思ったら、鴉だ。
子供の頃、夕暮れ時になると通学路にある神社の前を通るのが怖かった。
赤く染まった空を背景にして、暗い神社の前にそびえ立つ鳥居は異世界の入り口のように見えた。
鳥居の上に留まった一羽の鴉がぎゃあぎゃあ鳴いて、その禍々しい響きに胸騒ぎがした。
何か良くないことが起きるような気がして、得体の知れない不安を感じたのを覚えている。
…今の天くんの目は、あの鴉に似てるんだ。
店内の照明が再び点滅し始める。
強盗は最早蛇に睨まれた蛙のようだった。
天くんがまた一歩前に足を踏み出す。
強盗の肩がびくりと跳ねて、震える手からナイフが滑り落ち、音を立てて床に転がる。
一歩、また一歩とゆっくりと強盗に歩み寄っていく天くん。
強盗は腰を抜かして床に尻餅をついた。
後退りして、背後の棚に背中がぶつかる。
ぶつかった衝撃で棚に並んでいたおにぎりが幾つか落ちて床に散らばった。
天くんが腕を振り上げる。
まずい。
このままじゃ、こいつ、手を…!
「天くんストップ!!」
慌ててカウンターを飛び出して、振り上げた天くんの腕に飛びついた。
「大丈夫だから!私は大丈夫だから!もういい!この人もう戦意喪失してるから!」
天くんがぽかんと口を開けて私の顔を見た。
漆黒の闇のようだったその瞳に、徐々に星のような光が戻ってくる。
「直さぁ〜ん」
がばっと勢い良く抱きつかれる。
よろけて天くん諸共その場に座り込んだ。
「よ、よしよし、大丈夫だって」
背中に手を回してぽんぽん叩いてやる。
天くんが首を横に振った。
「大丈夫じゃないです」
血の滲んだ首を指先でそっと撫でられる。
「ちょっと血が出たくらいだよ、これくらいどうってことないって」
私の言葉に天くんがまた首を横に振る。
ぱさぱさと髪が揺れるのと同時に、小さな宝石のような涙の粒が光りながら零れ落ちる。
「直さんが怪我したら、僕の心が痛いです」
天くんの言葉に胸が詰まった。
他の人と同じように、私にも、私に何かあったら傷付く人がいる、悲しむ人がいるんだ。
自分一人で生きているわけじゃないって、わかっているつもりでもわかっていなかった。
この年まで生きられたんだから充分だなんて考えたけど、充分なんてないのかもしれない。
死ぬ覚悟とかしちゃったけど、やっぱり死ななくてよかった。
「…ごめんな、天くん」
すん、と鼻を啜りながら肩に頭を寄せてくる天くんを抱きしめる。
…と、不意に啜り泣く声がして、振り向いたら強盗が泣いていた。
おいおい、勘弁してくれよ…泣きたいのはこっちだって…。