直さんと天くん
気になっていることは口に出せないまま、温かいたい焼きの入った袋を受け取って、店の前に開かれたベンチに二人並んで座った。

袋を開けると、甘い香りがふわ〜っと広がる。

「ほい。こっちが餡で、こっちがクリームな」

焼きたてほかほかのたい焼きを手渡す。

「うわ〜ありがとうございます」
「どういたしまして〜」

ぱくっとたい焼きに齧りつく天くん。
たい焼き一つですごく喜んでくれるもんだから、可愛くて、こっちまで笑顔になる。

「天くんはあの後よく眠れた?」
「はい、たぶん」
「ならよかったよ。私はなんか変な夢見てさぁ…」
「ゆめ?どんな?」

たい焼きを口いっぱいに頬張りながらこっちを見る天くん。

「それが…なんていうか、断片的で、よくわかんない夢なんだけど…妙にリアルで、嫌な予感がするっていうか、不吉なかんじっていうか…だから起きてから父さんとか亜蘭にも電話しちゃってさ…」
「あらん?」
「あ、やべ」
「あらんって誰ですか直さん」
「あ〜、えーと、と、友達…今は…」
「今は?じゃあその前は?」
「ああ〜、いや、それは、その、なんていうか…」
「さっきからどうして斜め上ばっかり見てるんですか?」
「あ、あんなとこに、あんな派手な看板あったかな〜、昔はなかったと思うんだけど、天くんは知ってるかい?」
「直さん」
「は、はい…」
「教えてください。あらんってだぁれ?」

やばい。コンビニ強盗の時みたいな負のオーラが出てる。

仕方ない…正直に話すことにしよう…。

「亜蘭は…大学の頃に付き合ってた、まあ、いわゆる、元カレだよ…」

私の言葉に天くんの口があんぐり開いた。

「そ、そりゃ私だっていい歳だし、元カレの一人くらいいるさ!天くんだって元カノの一人や二人、いるだろっ?」
「僕、直さんが初恋です」
「ええええ、嘘だろ、嘘だと言ってくれ」
「嘘じゃないです。ホントです。僕の初恋は直さんだもん」
「だもんって、え〜、いいのか、初恋が私なんかで…」
「私なんか、なんてそんな言葉言っちゃダメです。直さんだから、いいんです。直さんだから、好きなんです」
「あ、ありがとう…って、話が逸れたな、元に戻そう」



亜蘭。
異国情緒漂う名前に目鼻立ちのはっきりした彫刻みたいな顔。
口を開けばふざけて冗談ばっかり言ってよく笑うヤツだった。

「あいつ顔はいいから、めちゃくちゃモテてさ。学内ではちょっとした有名人だったんだよね」

そんな亜蘭と、空き時間は図書館に篭って本ばかり読んでいた私がどうして付き合うことになったのか。



あれは大学一年の夏、図書館の出入り口前で不意に呼び止められた。

『脇坂さん』

振り向いて、面食らった。
たった今自分の名前を呼んだのが、それまで世間話どころか挨拶さえろくに交わしたこともない学内イチの人気者だとは。

戸惑いがモロに顔に出ていたと思うんだけど、亜蘭は切羽詰まってて気がつかなかったらしく、ぎゅっと目を瞑り顔の前で両手の平をぱんっと合わせてこう言い放った。


『俺たちいくつか同じ講義取ってるよな?頼む!その時間だけでいいから俺の隣に座ってくれない?』


いきなり何を言い出すんだと思った。
普段あれだけ女の子達に囲まれてんのに、なんで私に声をかける?ろくに話したこともないのに。
だいたい、隣に座って講義を受けてくれってどういう頼みなんだ?
新手のナンパにしたって、お似合いの華やかな美人や可愛い女の子が他に大勢いるだろうに。

「…けど、そのせいで本人は苦労してたみたいでさ。
学内のどこ行っても女の子が寄ってきて、やれ連絡先だのカノジョはいるのかだの訊かれて、授業中もお構いなしに話しかけられて勉強どころじゃないし、そのうち教授や他の学生からも睨まれちゃって、居辛かったらしいんだよね」


だからそれは新手のナンパではなく、カノジョのふりして私が隣に座っていれば女の子達が寄って来なくなって静かに勉強が出来るだろうという作戦だったのだ。


『それはわかったけど、なんで私に頼むのさ』
『だって俺に興味ないだろ』
『…なるほど』


面倒だとは思ったけど、事情を聞いたら気の毒に思えてきて。


『いいよ。やっても。偽カノジョ』

『マジ!?おまっ、おまえっ、いいヤツだな!!』
『ああ〜勝手に手とか握んな、ぶんぶん振るな、暑苦しいから!』
『ありがとう!マジで助かる!脇坂直!おまえは俺の恩人だ!』
『顔の印象と中身違うって言われない…?』
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