直さんと天くん
「つまり、まあ、絆されたっていうか、落とされたっていうか…。
そんな感じだったな、最初は。
ハッキリ好きだって確信持ったのはもう少し後で……
って暗っ!!どうした天くん!!」
天くんはがっくり肩を落として項垂れていた。
「………いな」
「え、なに?なんて?」
「いいなぁ、亜蘭さん。
僕も直さんと同い年だったらよかったな…」
「えぇ?なんでだよ」
「だって、だってもう、僕は大学生の直さんにはどうやっても会えません。
高校生の直さんにも中学生の直さんにも…。
同い年だったら、ずっと一緒にいられたのに。
同い年だったら、毎日学校で会って、隣の席に座って授業受けて、お昼ご飯も一緒に食べられます」
「あはは、そうだな。学食のメニュー、天くんと一緒に食べてみたかったかも」
「でしょう?ず〜っと一緒にいられて、僕が知らない、いろんな直さんが見れる。
羨ましいです。亜蘭さんが」
そっと目を伏せながら寂しそうに呟いた天くんを見て、私は慌てて言う。
「でっ、でもさっ!もし同い年で同じ大学に通ってたとしても、お互いの存在に気付いて興味を持ったかなんてわかんないだろ?」
「そうですか…?」
「だって大学って、あんなに人がいっぱいいるわけじゃん。学部だっていろいろあるし。
すれ違うだけの、名前も知らない他人のまま卒業してたかもしれないだろ?
大学生の天くんと、図書館司書やってた私だからこそ、出会えたのかもしんないよ?」
それに、亜蘭とは大学3年になる頃、就活で会えない日が増えてきて、結局翌年別れることになった。
別れの決め手は、私より先に亜蘭の内定が決まったこと。
亜蘭の父親の友人のデザイン事務所で、場所は関西だった。
コネ入社だけどな、と亜蘭は笑った。
私は、コネでもなんでもいいじゃん羨ましいぜコノヤローと肩に軽くパンチしたのを覚えてる。
亜蘭は私に一緒に関西に行かないか、頼めばもう1人くらい雇ってくれるから、と言った。
だけど私は断った。そこまでしてもらうわけにはいかないと思ったし、私には向かないだろうなと思った。
遠距離なんて無理だぞ、俺。
あの時、亜蘭はそう言った。
どこか不安そうな顔で。
その顔を見たら、
この辺で終わりにする?
そんな言葉が口をついて出た。
あ、やべ。つい…。
言ってしまった、と内心思いながらも何気ない風を装って亜蘭の目を見た。
寂しそうな目。
そして、いつかこんな日が来るだろうと思っていた、そんな目。
潮時という言葉が脳裏を過った。
もう今までのように一緒にはいられないし、きっとこれから先は離れていくだけだ。
会えない日々が過ぎていく中で、お互い別れが近づいていることを薄々感じていたのかもしれない。
亜蘭も私も、口には出さないけれど、私達の関係はここまでだということがわかっていた。
今までありがとう。
すげぇ楽しかったよ。
二人ともしんみりするのは苦手だから、切なさや寂しさを隠して笑い合った。
私達、付き合う前も、付き合ってからも、出会ってからずっと話し方は変わらなかったな。
私達らしい、さっぱりした付き合い方と不器用な分かれ方だった。
一瞬亜蘭との記憶が蘇えり、また一瞬で目の前にいる天くんの顔に意識が戻る。
打ち上げ花火とか、大輪の紅い花を思い出すような笑顔。
「そうですよね。今直さんと一緒にいるのは僕だから!」
そうそう、頷きながらふわふわした髪を撫でた。
たい焼きを食べ終えて、天くんは立ち上がりビニール傘を開いた。
「直さん、お散歩しましょう」
「学校戻らなくていいのかい」
「さぼります」
「おいおい学生よ…って、私もよくサボって映画観に行ったわな」
「映画!いいですね!行きましょう直さん!」
「しゃあないな〜、今って何やってんのかな…」
肩にかけたバッグからケータイを取り出そうとしていたその時。
「天…?」
知らない声がして、顔を上げた先に天くんと同い年くらいの男の子が立っていた。
その子は何かに驚いたように目を大きく見開いて、こちらを穴が開きそうなほど凝視していた。
その視線は、私の横にいる、天くんだけに向けられていた。
「桃瀬…」
真横にいる私にしか聞こえないくらいの小さな声で天くんが呟く。
おそらくあの子の名前だろう。
「おまえ、なんで、こんなとこに…」
天くんが桃瀬と呼んだ男の子の言い方は、天くんが今ここにいることが絶対にありえないかのような言い方だった。
「病院は…?いつ退院したんだ…?」
信じられないというようにゆっくり一歩ずつ近付いてくる。
病院?天くんが?
いったい彼はなんの話をしてるんだ?
天くんが私の手を握る。
戸惑いながら見上げると、いつものへらっとした笑顔。
そして唇を耳元に近寄せ、こう囁いた。
「逃げます」
は?
次の瞬間にはもう走り出していた。
手を引かれたまま、訳もわからず全力疾走。
「待てよ!天!」
後ろから追いかけてくる声と足音。
商店街を駆け抜けると十字路。
左に曲がる。
そこは行き止まりの壁だった。
「天!」
背後から大きな声がして、思わず振り向く。
桃瀬という子が大きく目を見開いて立っている。
彼の視線を辿った先には何もなかった。
誰もいない。
さっきまで天くんの手を握っていた私の手の中は空っぽだった。
アスファルトの地面に開いたままのビニール傘が持ち手を上にして転がっている。
消えた。
天くんが、消えた。
「あれ…?いない…?」
彼が呟く。
違う。
私は凍りついたように立ちすくんだまま、声も出せず、心の中だけで返した。
いなくなったんじゃなくて、消えたんだ。
消えたんだよ。
忽然と、消えてしまった。