直さんと天くん
「直さん」
暗闇の中に天くんが立っている。
スポットライトが当たっているかのように、天くんのいるところだけが明るい。
ふわっとした胡桃色の髪から、黄金色の三角の耳がぴょこっと出ている。
そして、同じく黄金色のふさふさの尻尾が揺れている。
犬…?いや、狐だ。狐の耳と尻尾。
両手には赤い毛糸の手袋をしている。
へらっと笑いながらこう言った。
「こん!」
これは、もしやあれか?
「…手袋を買いに…新美南吉…」
司書時代の癖でタイトルと著者をセットで呟いて、はっとして目を覚ました。
仕事中カウンターに立ちながら、うとうとしてたらしい。
店内は帰宅時間の混雑を過ぎた後で、お客はいなかった。
「直さん、手袋ほしいの?寒い?」
いつからそこにいたのか、カウンターの向こうに天くんが立っていた。
私の手を、両手で包み込んで、はーっと息を吹き掛けて暖めてくれる。
「違う違う、大丈夫…夢見てただけだよ、狐の」
「キツネ?」
その狐が天くんだとは言いにくいな…。
夜のコンビニに何の前触れもなく突然現れたもんだから、最初は怪しんで、狐なんじゃないかと思ってた。勿論本気じゃないが。
なぜか私の名前を知りたがって、芒やら花やら持ってやって来て、からかわれているんじゃないかとも思ったけど。
不思議なやつだけど、悪いやつではないんだな…。
なんか、疑って悪かったな。
「昨日はありがとな。お礼に柿持ってきたんだけど、私もうすぐ仕事終わるから…」
「はい!待ってます!」
退勤時間。
裏口から出て、ドアの横に立って待っていた天くんに柿が5、6個入ったビニール袋を渡す。
蛍光灯の下でビニール袋の中を覗き込んだ天くんは、嬉しそうな顔で柿を一つ取り出すと、蛍光灯の白い光を受けて輝く橙色をまじまじと見て、がぶりと噛り付いた。
コンビニから自宅までは徒歩15分の距離だし、心配されるようなガラでもないんだが、送ってくれるというので、素直に好意に甘えることにした。
「直さんキツネ好きですか?」
天くんは柿を食べながら、唐突に口を切った。
「え?ああ、さっきの話か。好きっつーか…正直に白状すると、さっき見た夢にキツネの耳と尻尾の生えた天くんが出てきたんだよ…毛糸の手袋してさ。童話にあるだろ、狐の子が手袋を買いに人間のお店に来るやつ、あれ思い出した…。
この辺って田舎だから、バイト帰りに芒畑なんか見て歩いてると、狐が出て来て、人に化けて悪戯しに来たりしそうだな〜なんて気がしてさ。
最初に天くんが店に来たとき、気がついたら横にいたし、芒持ってたから、もしや狐か?なんて思ったりもして…それであんな夢見たのかもなぁ」
ちら、と見上げると、私をじっと見ている真っ黒な瞳と視線が合う。
「ごめんな。狐なんて言って、気ぃ悪くした?」
天くんが首を横に振る。
耳元で金色のチェーンピアスが微かに揺れた。
「でも、僕がもし狐でも、直さんを化かしたりしないですよ」
そう言って笑った。
私をからかってるんだろうと思ってたことを言われたような気がしてぎくりとする。
もしそうなら、意外と鋭いのかもしれないな…。
「直さん、月が綺麗ですね」
天くんの言葉に、夜空を見上げると大きな満月が浮かんでいた。
「ああ、道理で明るいわけだ。ほんとだ、綺麗だな。確か今日って中秋の名月だから…」
「そうなんだ…そっか…ん〜…」
天くんは頷きながらも、空返事のような、残念そうな声で後頭部を掻いている。
それから少し歩いていると、また。
「直さんっ、月が綺麗ですねっ」
なんだ?
さっきも言ったじゃん。
私のリアクションが薄かったのか?
「おお!すっごく綺麗だな!こんな見事な満月めったにないよな!天くん!」
声のトーンを上げて、少々誇張気味に言ってみたが、天くんはビミョーな表情で「ん〜…」と頭を掻いていた。
これでも駄目なのか?
けっこう頑張ってリアクションしてみたんだけどな…。
家の前まで来て、立ち止まる。
「家遠いのにわざわざごめんな。気をつけて帰れよ?」
「は〜い。あっ、直さん」
なんだ?と見上げると、天くんは私の額にそっと唇を寄せた。
やわらかな感触と、ちゅ、と小さな音がする。
「おやすみなさい。直さんが良い夢を見られるように、おまじないです」
囁いて、顔を離すと、へらっと笑った。
な、なんだよそれ。
ちょっとキュンとしちゃったじゃねぇか…。
お風呂で、入浴剤を入れて萌黄色になったお湯に浸かりながら、ふ〜っと溜息を吐いた。
天くんの子供みたいに笑う顔が頭に浮かぶ。
…不思議なやつだよなぁ。
いきなり現れるし、芒持ってきたり花持ってきたり、おんぶして送ってくれたり、額にキスなんてキザなことしたり…。
あんなことされると、本気で好かれてるって勘違いしそうになる。
罪作りなやつめ…。
ちゃぷ、とお湯が波打つ。
あれ…?
そういえば…。
月が綺麗ですね、って…。
「夏目漱石のI love you の日本語訳じゃん…!」
思わず口から出た声が浴室に響いた。
好かれてるとは薄々思ってたけど、まさか。
いやいや、まさかね。
ただの感想かもしれないし。
ただ、私のリアクションがイマイチだっただけかもしれないし。
でも、もし万が一、あれが漱石の引用だったなら。
天くん、私が好きなのか…?
後日、来店した天くんに恐る恐るきいてみた。
「天くん…この前の、月が綺麗ですねって、あれ、夏目漱石のI love youの日本語訳、だったりする…?」
「はい!よかった〜直さん気付いてくれた〜!」
やっぱりか…!
ってことは…まさか…いや、まさか…。
「まさか、天くん、私が好きなのか…?」
「はい!僕、直さんが好きです!」
即答かよ!
へら〜んと笑いながら、天くんの腕が伸びてきて、抱きつかれた。
「直さ〜ん」
「え、えぇ〜…??」
傍で見ていた浜路さんが、まぁ!と、口に手を当てて驚いている。
いやいやいや、だから見てないで助けてくださいって!
20171105,20171106
20171110
暗闇の中に天くんが立っている。
スポットライトが当たっているかのように、天くんのいるところだけが明るい。
ふわっとした胡桃色の髪から、黄金色の三角の耳がぴょこっと出ている。
そして、同じく黄金色のふさふさの尻尾が揺れている。
犬…?いや、狐だ。狐の耳と尻尾。
両手には赤い毛糸の手袋をしている。
へらっと笑いながらこう言った。
「こん!」
これは、もしやあれか?
「…手袋を買いに…新美南吉…」
司書時代の癖でタイトルと著者をセットで呟いて、はっとして目を覚ました。
仕事中カウンターに立ちながら、うとうとしてたらしい。
店内は帰宅時間の混雑を過ぎた後で、お客はいなかった。
「直さん、手袋ほしいの?寒い?」
いつからそこにいたのか、カウンターの向こうに天くんが立っていた。
私の手を、両手で包み込んで、はーっと息を吹き掛けて暖めてくれる。
「違う違う、大丈夫…夢見てただけだよ、狐の」
「キツネ?」
その狐が天くんだとは言いにくいな…。
夜のコンビニに何の前触れもなく突然現れたもんだから、最初は怪しんで、狐なんじゃないかと思ってた。勿論本気じゃないが。
なぜか私の名前を知りたがって、芒やら花やら持ってやって来て、からかわれているんじゃないかとも思ったけど。
不思議なやつだけど、悪いやつではないんだな…。
なんか、疑って悪かったな。
「昨日はありがとな。お礼に柿持ってきたんだけど、私もうすぐ仕事終わるから…」
「はい!待ってます!」
退勤時間。
裏口から出て、ドアの横に立って待っていた天くんに柿が5、6個入ったビニール袋を渡す。
蛍光灯の下でビニール袋の中を覗き込んだ天くんは、嬉しそうな顔で柿を一つ取り出すと、蛍光灯の白い光を受けて輝く橙色をまじまじと見て、がぶりと噛り付いた。
コンビニから自宅までは徒歩15分の距離だし、心配されるようなガラでもないんだが、送ってくれるというので、素直に好意に甘えることにした。
「直さんキツネ好きですか?」
天くんは柿を食べながら、唐突に口を切った。
「え?ああ、さっきの話か。好きっつーか…正直に白状すると、さっき見た夢にキツネの耳と尻尾の生えた天くんが出てきたんだよ…毛糸の手袋してさ。童話にあるだろ、狐の子が手袋を買いに人間のお店に来るやつ、あれ思い出した…。
この辺って田舎だから、バイト帰りに芒畑なんか見て歩いてると、狐が出て来て、人に化けて悪戯しに来たりしそうだな〜なんて気がしてさ。
最初に天くんが店に来たとき、気がついたら横にいたし、芒持ってたから、もしや狐か?なんて思ったりもして…それであんな夢見たのかもなぁ」
ちら、と見上げると、私をじっと見ている真っ黒な瞳と視線が合う。
「ごめんな。狐なんて言って、気ぃ悪くした?」
天くんが首を横に振る。
耳元で金色のチェーンピアスが微かに揺れた。
「でも、僕がもし狐でも、直さんを化かしたりしないですよ」
そう言って笑った。
私をからかってるんだろうと思ってたことを言われたような気がしてぎくりとする。
もしそうなら、意外と鋭いのかもしれないな…。
「直さん、月が綺麗ですね」
天くんの言葉に、夜空を見上げると大きな満月が浮かんでいた。
「ああ、道理で明るいわけだ。ほんとだ、綺麗だな。確か今日って中秋の名月だから…」
「そうなんだ…そっか…ん〜…」
天くんは頷きながらも、空返事のような、残念そうな声で後頭部を掻いている。
それから少し歩いていると、また。
「直さんっ、月が綺麗ですねっ」
なんだ?
さっきも言ったじゃん。
私のリアクションが薄かったのか?
「おお!すっごく綺麗だな!こんな見事な満月めったにないよな!天くん!」
声のトーンを上げて、少々誇張気味に言ってみたが、天くんはビミョーな表情で「ん〜…」と頭を掻いていた。
これでも駄目なのか?
けっこう頑張ってリアクションしてみたんだけどな…。
家の前まで来て、立ち止まる。
「家遠いのにわざわざごめんな。気をつけて帰れよ?」
「は〜い。あっ、直さん」
なんだ?と見上げると、天くんは私の額にそっと唇を寄せた。
やわらかな感触と、ちゅ、と小さな音がする。
「おやすみなさい。直さんが良い夢を見られるように、おまじないです」
囁いて、顔を離すと、へらっと笑った。
な、なんだよそれ。
ちょっとキュンとしちゃったじゃねぇか…。
お風呂で、入浴剤を入れて萌黄色になったお湯に浸かりながら、ふ〜っと溜息を吐いた。
天くんの子供みたいに笑う顔が頭に浮かぶ。
…不思議なやつだよなぁ。
いきなり現れるし、芒持ってきたり花持ってきたり、おんぶして送ってくれたり、額にキスなんてキザなことしたり…。
あんなことされると、本気で好かれてるって勘違いしそうになる。
罪作りなやつめ…。
ちゃぷ、とお湯が波打つ。
あれ…?
そういえば…。
月が綺麗ですね、って…。
「夏目漱石のI love you の日本語訳じゃん…!」
思わず口から出た声が浴室に響いた。
好かれてるとは薄々思ってたけど、まさか。
いやいや、まさかね。
ただの感想かもしれないし。
ただ、私のリアクションがイマイチだっただけかもしれないし。
でも、もし万が一、あれが漱石の引用だったなら。
天くん、私が好きなのか…?
後日、来店した天くんに恐る恐るきいてみた。
「天くん…この前の、月が綺麗ですねって、あれ、夏目漱石のI love youの日本語訳、だったりする…?」
「はい!よかった〜直さん気付いてくれた〜!」
やっぱりか…!
ってことは…まさか…いや、まさか…。
「まさか、天くん、私が好きなのか…?」
「はい!僕、直さんが好きです!」
即答かよ!
へら〜んと笑いながら、天くんの腕が伸びてきて、抱きつかれた。
「直さ〜ん」
「え、えぇ〜…??」
傍で見ていた浜路さんが、まぁ!と、口に手を当てて驚いている。
いやいやいや、だから見てないで助けてくださいって!
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