宵の朔に-主さまの気まぐれ-
凶姫の右肩を貫通した傷口…穴は小さかったが肉を抉り、出血はなかなか止まらなかった。

連日晴明を屋敷に呼んで容態を診てもらっていたため、いつものように屋敷を訪れた晴明は、朔の結界が敗れたと同時に着き、血まみれの凶姫と血相を変えている朔を交互に見ていつもの微笑を消して真顔になり、腕まくりをした。


「朔、退きなさい。これはまずい」


「お祖父様…!」


「そなたの結界が破られるとはどうしたことだ?こんなことでは地下に気付かれるとまずいことになるよ」


代々の主はこの屋敷と地下に居る者を守り続けている。

結界が破られたとあっては屋敷に侵入されて地下の者と接触される可能性もある――それだけは避けなくてはならないのに。


「申し訳ありません。お祖父様、俺が運びますから治療をお願いできますか?」


「もちろんだとも。雪男、大量の氷水の用意を。これは手術をしなければ。たいそう痛む故、悲鳴を上げることになる。しかし私に任せなさい」


「はい…」


意識がないながらも短い息を上げている凶姫の命は途絶えてはいない――ほっとしたと同時に朔の目に青白い焔が燈り、殺気が噴き出した。

天候さえも左右するその殺気に木々がざわめき、暴風が吹く。

このままでは朔が暴走してしまう――雪男が駆け寄ろうとした時…


朔の袖をそっと握ったのは、柚葉だった。


「主さま、今はやめて下さい。そんな殺気を放たれると姫様の身体に響きます。どうか落ち着いて」


「…柚葉」


「あなたがそんなに動揺していると皆にも伝わりますよ」


――ぎゅうっと目を閉じた朔は、大きく息を吐いて気を静めた。

柚葉はそれを見ながら、凶姫のためにここまで怒ってくれる朔のことを嬉しく思い、また詮無いことを考えた。


もし自分が同じ状況に陥ったならば、こんなに怒ってくれるだろうか?


ぽん、と朔に肩を叩かれ、耳元で"ありがとう”と言われた。

今はそれだけで、十分だった。
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