宵の朔に-主さまの気まぐれ-
輝夜に抱きしめられているうちに、だんだんと落ち着きを取り戻した柚葉は、実はとんでもない状況に陥っているのではないかと気づいてそわそわし始めた。


「あ…あの…もう…いいです」


「いやあ、まだ冷え切っていますよ。心が冷え切ると幽鬼となり果ててしまいます。我々鬼族にとっては死ぬことよりもつらいものになってしまいます」


そうは言っても男に抱きしめられることには慣れていないし、むしろ冷え切るよりも身体が熱くなって恥ずかしくて、輝夜の細く長い指が目の前にあって動転した。


「いえ、もう落ち着きましたから離れて下さい…」


「ああ…あなたもしかしてあまり経験がないとか?」


「そうですけど!いけません?!」


ついむきになって腕を振り解いた柚葉は、頬を膨らませながら輝夜に向き直って畳をぱんぱんと叩いた。


「大体鬼族の女は貞操観念が低いとか言われがちですけど私は違いますから!だってまだ………なんでもありません…」


目を丸くしている輝夜と目が合って、自分がまだ処女であることを暗に言ってしまった柚葉は、顔を真っ赤にしてまた畳を叩いた。


「へえ、そうなんですねえ。兄さんに捧げようと思ったわけですか?」


「!そんな…そんなことあるわけないじゃないですか…。主さまは私には興味ありませんから」


「そうかなあ。少なくとも無関心ではないようですが。ちなみに私はあなたに興味津々ですよ」


「え…っ、な…なんでですか…」


「よく見えないから」


――柚葉にとっては意味の分からない答えだったが、輝夜にとっては大ありだった。

未来の見えない女――

一体この先何が起きるか分からないというのは常人であれば当然のことだが、輝夜にはこれから起こりうるすべての事象が見える。


だが柚葉の未来は、よく見えない。

こんな楽しいことは、ない。


「からかわないで下さいっ」


「ふふ。ですがお嬢さん、あなたの涙を止めることには成功しました。さ、お茶が冷めないうちに飲みましょう」


本当に不思議な男。

本当に不思議な女。


互いにそう思いながら、茶を口に運んだ。
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