宵の朔に-主さまの気まぐれ-

失ったもの

起きてきた十六夜は、ちょうど風呂から上がってきた凶姫と廊下でばったり会って足を止めた。

…元々あまり他者に関心がないため機微に聡い方ではないが…何かが違う、と思った。


「あ…お、おはようございます」


「…具合でも悪いのか」


「え?どこも悪くありませんけど…」


「…」


聞くだけ聞いておいて返事をせず歩き始めた十六夜を追って後ろを歩いていた凶姫は、この朔の父を少し怖い人だと思って今まで話しかけられずにいたが――


「あの、先代様」


「…なんだ」


「私…ここに居てもいいんでしょうか。ご迷惑ばかりかけて…」


「…朔がいいと言うなら居ればいい。あれが現当主だからな」


「ありがとうございます」


「ところで、お前は朔の嫁になるのか?」


唐突に切り出された問いに今度は凶姫の足が止まると、十六夜は盲目の美姫を冷淡な視線で撫でた。


「私は…目が見えません」


「…それで?」


「先代様の家系は私たち鬼族の祖ともなるべき血筋…。由緒ある家柄から由緒ある姫が選ばれるべきで…」


「…俺の妻は人だ。反対もされなければ反対をさせるつもりも毛頭なかった。当主が決めたことは絶対だ。だから朔が嫁を選ぶならばどんな女だとしても俺は反対するつもりはない」


珍しく長く喋って少し恥ずかしくなった十六夜がふいっと顔を逸らして足早に居間へ向かうと凶姫も慌ててついて行って、縁側に座っていた朔に朗らかに声をかけられた。


「ああ起きてきたか。体力は戻ったか?」


「!な…何を言うのよ…疲れてなんかないんだから」


にやにやしている朔の傍でこれまたにやにやしている雪男。

輝夜がそんな雪男の頭を扇子で軽く叩くと、庭先に居た柚葉が歩み寄ってきた。


「姫様」


「柚葉おはよう。ああ今日はいい天気ね」


忙しなく鳴く蝉の声に耳を傾けて大きく深呼吸した。


何か世界が変わった気がする――そんな気がして、ふわりと笑った。
< 199 / 551 >

この作品をシェア

pagetop