宵の朔に-主さまの気まぐれ-
今日はもう床から出ない――

ふたり布団に包まってこうしてゆっくり過ごす時間など今まで持ったことがなかった。

雪男は朔の側近で傍に仕えるのが役目なためこの屋敷でのんびりすることなど一度もなかった。

氷輪は遠慮しているのか幼子たちの世話をしてくれて他の部屋に居るようで、朧は身体に絡みつく雪男の腕のあたたかさに何度も吐息をついていた。


「氷雨…」


真名を呼ぶ時は、こうして抱かれる時だけ。

滅多に呼ばないことで雪男が真名を呼んだ時に見せる笑顔が最高に可愛くてきゅんとするから、今もその笑顔を見てきゅんきゅんして布団を被った。


「どうした?疲れたか?」


「なんでもありません。ねえお師匠様、私のこと、母様を好きだった時よりも…好き?」


――もう随分昔に捨てた想いだ。

また気持ちを天秤にかけたこともなかった雪男は、布団を剥いで少し不安げな朧の頬を両手で包み込んで額を強めにこつんとぶつけた。


「比べたことはないけど、俺にこうして触れるのはお前だけだぞ。お前が死にかけた時…俺がどんな思いだったか…思い出したくもない。お前が死んだら俺も後を追うって決めてた。それ位想ってるってことだ。分かったか?」


夫婦になってすぐのこと――朧はとある事件に巻き込まれて死にかけた。

朔も雪男も必死になってなんとか事件を巻き起こした妖を退治したが…あの時はひどく荒ぶって密かに何度も涙を落とした。


「お師匠様…ごめんなさい…」


「いや、いいんだ。お前は今生きてるし、俺も健康そのもの。…でも主さまが引退したら、俺も引退すっかな。どう思う?」


「私はあなたについて行くから心配しないで。氷雨…」


指で唇に触れて口付けをねだると、いつものように、最初はついばむように――そして舌を絡めて濃厚なものに。


生死の境を彷徨ってより強固になった絆とこの想いを胸に、決してこの人を失くしたりしないと心に刻む。
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