宵の朔に-主さまの気まぐれ-
「ふう、いいお風呂でした」


金槌を無心に振るっているとどうしても汗が出るし極暑の中だったため、一日に何度も風呂に入ることになる。

だが出来のいいものができると本当に嬉しくて、鼻歌を歌いながら手拭いで髪を拭きつつ自室に戻った柚葉は部屋の中央でごろんと寝転がっている輝夜を見て足を止めた。


「起こさない方がいいのかな…」


すとんと傍に座ると、輝夜の美しい寝顔を見た柚葉は今まであまり考えないようにしていた‟疼き”を感じた。

牙が疼く――例えるならばそんな衝動で、黙っているとかなり…極上の美形の部類に入る男と密室でいつもふたりで作業をしていることが今更ながら恥ずかしくなったが、触りたいという衝動にも襲われて、おずおずと手を伸ばして長い黒髪に触れた。


「…黙ってればいい男なのに」


――この戦いが終わったならば、処女を頂くと輝夜に訳の分からない宣言をされてからこっち、ずっと実は意識してしまっていてまともに目を合わせることができないでいた。

輝夜はいつも通り接してくれていたが…目ざとい男だ、絶対気付いているに違いない。


「はあ…」


ため息をついて同じように背を向けてごろんと寝転がった。

朔を想っている時期がとても長かったため、こんなにすぐ浮ついてしまっている自分を窘め続けていたが、そもそも輝夜の秘密を知っているため、処女を頂くと言われてもそれが本音に思えず自分を好いてくれているとも全く思っていない。


「…抱いて確かめてみたいだけでしょ、どうせ」


輝夜は自身の意思で生きてはいない。

未来を予見できるためその最短の道筋を示しているだけで、‟この人のためにこうしたい”と思ったことは恐らくないだろう。


「可哀想な人…」


「私のことですか?」


「!?」


背中からぎゅっと抱きしめられて、硬直。

耳元で息をついた輝夜の吐息にぞくりと身体が震えた。

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