宵の朔に-主さまの気まぐれ-
輝夜は静かな目をしていた。

全てを達観して、全てを見通すその黒瞳は未だかつてなく研ぎ澄まされていて、居間の縁側から見える景色を同じように静かに見ていた朔は、輝夜を隣に座らせて傍に置いている天叢雲を指でなぞった。


「もう来るか?」


「ええそろそろ。蜃の貝が割れたらそれがはじまりの時です。何が起こってもおかしくはない。兄さん、気を付けて」


「お前は芙蓉と柚葉を頼む。絶対に目を離すな」


「はい」


「ところで…柚葉とそうなったのか?」


突然話題を変えられて一瞬目が点になった輝夜だったが、ふっと息を吐いて笑うと、小さく首を振った。


「まだです。まだですというか、秘密です」


「ふうん。‟渡り”を殺したら一切合切話してもらうからな」


「そうですね、お話します。兄さん…」


そう言葉を区切って黙り込んだ輝夜の頭をぐりぐり撫でた朔は、大きく頷いて少し泣きそうな顔をしている弟を詰った。


「泣き虫の癖が出たか?」


「…もう私は立派な大人なんですから泣きませんよ」


「言いたいことは分かってる。今日終わらせよう。俺の物語も、お前の物語も」


「ええ…はい」


――凶姫と柚葉は手を取り合って居間の片隅でそんな兄弟の様子を見ていた。

凶姫は朔を。

柚葉は輝夜を。

その傍には雪男と銀が。

屋敷の屋根には氷輪と白雷が。


誰も‟渡り”に手を出してはいけないと分かっていた。


朔だけが、‟渡り”に手を出すことができる。

凶姫の目を取り戻してようやく訪れる幸せな日々を育んでいってもらうために。


見守ることしかできないでいても、皆が朔と凶姫の幸せを望んでいた。


「兄さん、来ます」


「ああ」


庭の上空の空間が黒く歪む。

天叢雲を握る手に力を込めた。
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