宵の朔に-主さまの気まぐれ-
幻を見せられていたことに今の今まで気付かなかった黄泉は、凶姫の前に立ち塞がる雪男と銀の隙間を掻い潜るようにして身体を傾けてどす黒い眼光を光らせた。


「お前…!妊娠しているのか!?」


「…」


――黄泉と対峙するとどうしても身体が動かなくなる凶姫は、柚葉の手を力いっぱい握ってなんとか恐怖に打ち勝とうとしていた。

目を合わせることはできない。

あの夜、暴力を振るわれて、凌辱された記憶は今も魂に刻み込まれて忘れることはできない。


「俺の女が…!お前の子か!?」


「それがどうした。ちなみに訂正するが、最初からお前の女じゃない。俺の妻だ」


「妻…だと…!?」


目が見えなくとも凶姫は美しく、青ざめて唇を震わせている表情にぞくぞくしていたが、それよりも朔の発言に頭に血が上って牙をむき出しにして吠えた。


「許さんぞ!俺のものなんだ!その腹を掻っ捌いて子を取り出して、そして…」


「そして…お前の子を生め、と?」


そう言われて、きょとんとした。

考えたこともなかったことを言われて返す言葉が見つからず、朔をじっと見つめて茫然。


「なんだその顔は。お前、芙蓉に惚れているんだろう?だからそんなにむきになってるんじゃないのか?」


「……はあ?俺はただその女の目が美しかったから奪ってやっただけだ。心など奪われていない」


「そうか。別に興味はないからそれ以上は訊かないが、芙蓉の目はお前が持っているということで間違いはないか?」


――黄泉が真っ黒な外套の懐を押さえた。

そこにある、と確信した朔は、ふっと身体を沈めて黄泉に肉薄すると、黄泉の懐に手を伸ばして掴みかかろうとしたが、それを横から冥が短剣を持って襲い掛かってきたため、鞘に収まったままの天叢雲で弾いた。


「主さま!」


「大丈夫だ。そうか、後生大事に持ち歩いているんだな。それを返してもらうぞ」


「返すものか。この目に似合う傀儡を作ることが俺の願い。俺の女に手を出し、あまつさえ子まで孕ませたお前と、そして…その腹必ず掻っ捌いてやるからな」


敵意と殺気を向けられて凶姫が震え上がると、朔は一気に殺気を開放して天叢雲を抜いた。


「俺の大切なものを守るために…お前を殺す。行くぞ」


形勢は不利――

冥は冷静にそう思いながらも、朔と凶姫から目を離さず手に持っている短剣をゆらゆら動かしていた。
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