宵の朔に-主さまの気まぐれ-
女は髪を伸ばすもの――

だが朔の目の前に現れた女は男のように髪が短く、少し吊った目は憂いを含んで朔を見つめていた。


「師匠…」


朔の体術の師匠であり、そして――


「お前の女だった時期もあるようだな。こんないい女を忘れたのか?愛情が憎しみに変わり、怨嗟となってお前につき纏っていたのに気付かなかったのか?」


「…女…!?」


糾弾めいた響きを含んだ凶姫の声が背中を叩いたが、朔は驚きのあまり師匠――椿(つばき)を見つめたまま、よろりと一歩近付いた。


「そんな…あなたが死んだことも最近知ったばかりなのに…」


「朔…蘇ってしまった。こんなはずじゃ…」


「こんなはずじゃ、じゃないだろう?お前はその男を愛しすぎてしまって死んだんだ。ちゃんと言葉にして伝えるがいい。そのためにお前を蘇らせたんだからな」


さもおかしな余興と言わんばかりに黄泉は腕を組んで一歩後退し、朔はかつて椿と共に鍛錬に明け暮れた日々と、男女として共に過ごしたひと時を振り返ったが――それは過去のこと。


「師匠…何故こんなことに?俺はあなたが気がかりで突然行方をくらましたあなたを捜していた時期もあったんだ。どうして…」


「…死んだの。病で」


「妖は病など滅多にかからない。師匠、本当のことを…」


「お前たちの種族…鬼族といったか?恋しさあまりに身を焦がして死ぬこともあるそうだな。まさにそれだよ。その女はお前を愛しすぎたんだ。死んでもなお魂はこの地に残ってお前の傍に居続けたというのにお前は気付かなかったのか。なんと薄情な男よ」


――凶姫は、押し止めようとする銀と雪男の身体を力いっぱい押して朔に近寄った。


…やはりかつての朔の女だったのかと思うと、過去とは分かっていても朔があまりにも心配そうな声で話しかけているし、女は蘇った今も朔を愛しているという――


「朔…本当のことを…知りたい…?」


「師匠…」


輝夜は密かにため息をついた。

朔はもう黄泉の術中に嵌まっている――

現状を打破するため、油断なくふたりに目を遣りながら考えを巡らせていた。
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