宵の朔に-主さまの気まぐれ-
「柚葉、凶姫の傷はもう完治したから治療は必要ない。だから次はお前がゆっくりしなければ」


「そう、ですか。本当に?」


「ええ本当よ」


「姫様の身体に傷なんて残ったら申し訳ないわ。…分かりました。今日一緒にお風呂に入りましょう。それで決めます」


別に柚葉が負わせた傷ではないのに申し訳ないと言って頑として引かない様子に凶姫がため息をつき、そんなふたりが縁側で話しているのを居間で文を検分しながら見ていた朔は、外で牛車が止まる音がして顔を上げた。


「誰か来る予定だったか?」


「いや、ないけど。ちょっと見てくる」


こうして突然訪れる者といえば晴明と息吹くらいなものだ。

だが…このふたりではない気配を感じ取った朔は素早く立ち上がって凶姫たちに声をかけた。


「来客が来た。ちょっと癖のある方だから何があっても驚かないでくれ」


首を傾げるふたりに説明する時間がなく、慌ただしく玄関に向かってその来客“者”たちを迎え入れた朔は、苦笑して頭を下げた。


「また突然ですね」


「…お前が事情を話しに来ないからだぞ」


「おお、息子の息子よ、寄り道をしていたら時間がかかってしまった。ふたりは大事ないか」


「妾のせいではない。お前が怪我も負ってないのに湯治じゃと寄り道をするからじゃ」


わいのわいのと騒ぐ面々――父の十六夜と祖父の潭月、そして祖母の周だ。

祖父母たちは事情を知っているが、父の十六夜にはまだ何も話していない。


「…何が起こっている?話をしてくれるな?」


「ええ、まあ、はい、それは」


歯切れ悪く返事をすると、十六夜の眼光が鋭く光り、背を向けて彼らを案内しながら、ぼそり。


「面倒なことになりそうだな…」


頭が固い十六夜にどう説明すれば納得してもらえるか――

朔は頭を悩ませながら居間に向かった。
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