恋に落ちたらキスをして
1.ゲーム開始
「どうして?
 結婚しようって言ったじゃない!!」

 園田尚之。25歳。
 国内有数の商社、坂上物産に勤めるサラリーマン。

 一流企業に勤める尚之を放っておく女はいないに等しかった。
 社外はもちろん、社内でさえも誘いが絶えない。

 ただ尚之自身は今まで本気になったことがなかった。
 それなりに付き合って、それなりの別れがあった。

 全てそれなりに。

 だからこんな好奇の目に晒されるような場所で別れをすがるように声を上げる人の気持ちが塵一つも分からない。

 視線の先にはさきほど声を荒げた女性。

 せっかくこの面白い場面に出くわしたんだと尚之は席を立った。

 先ほどの2人の話し合いは続いている。

「彼女のお腹には赤ちゃんがいて……。」

「赤ちゃん!!」

 信じられないと目を見開いた女性はもしかしたら勢いで男の顔をはたいたかもしれない。
 それを見るのもまた一興だったかな。

 しかしその手をつかんで口を挟んだ。

「綾。だから俺にしとけって言ったんだよ。
 今からでもいいからロクでなし男じゃなくて俺と結婚しよう。」

 つかんだ手にキスをして、綾を見つめた。
 俺に見つめられたら誰しもが赤くなるんだから、軽いもんだと踏んでいた。

 男には長い脚を見せつけて、ビシッと決まっているスーツと磨かれた革靴まで見ればいい。
 薄汚れた男に負ける気がしない。

 綾が続けた言葉にそれは確信へと変わる。

「ごめんなさいね。
 太郎さんより、この人の方が素敵だったみたい。
 結婚は太郎さんくらいパッとしない人の方がいいと思ってたけど……。」

「綾、彼に失礼だろ?
 彼のおかげで本物に気づけたんだから感謝しなきゃ。
 じゃ失礼します。」

 太郎さんの方は見ずに軽く手を上げて綾を連れて行く。

「ちょ……待ってよ。綾乃さん。」

 逃した獲物は大きいと気づいたみたいな男は動揺したような声をあげて頼りなく手を伸ばしている。
 もうあんたには触れさせないけどね。

 綾も同じ思いのようで鼻先で笑った。

「赤ちゃんが出来たっていう彼女によろしくね。
 アパートの私の荷物は捨てていいわ。
 彼と住むことにするから。」

 首に腕を回してきた綾が頬にキスをした。
 役得だね。

 仲睦まじい姿を見せつけながら店を出る。
 店の前の道を歩いて、角を曲がったところで勢いよく絡んでいた腕を離された。

「どういうつもり?園田くん。」

 ハハハッと笑いが漏れた。
 さっきまで俺を心から愛していそうな眼差しを送っておいて……。

「助けてあげたのにその言い草はないんじゃない?
 俺たち結婚するんでしょ?綾。」

 綾にハートマークをつけた声を出しても怪訝そうな顔をされた。

「笹島先輩でしょ?園田くん。」

 笹島綾乃。同じ会社の先輩。
 28歳、向かうところ敵なしの美人で有名。

 その笹島先輩があんなダサい上にモテると勘違いして浮気までしでかした男に引っかかるなんて。

 これが笑えなかったら笑いのつぼをどこかに置き忘れていると思う。

「俺、そこそこ金持ってるんで、太郎さんとの愛の巣に置いてきて足りない服とか買ってもいいですよ?」

「蜘蛛の巣の間違いでしょ。
 いいわ。この際だから散財させてやるわよ。」



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