キミの生きる世界が、優しいヒカリで溢れますように。


配られたプリントを見る。


どうやら文化祭は十月十九日に行われるらしい。私が飛び降りた日だ。


朝九時から始まって十六時までがクラスでの出店営業、そのあと十六時半から開催される体育館での後夜祭では、各クラス好きなことを披露するとのこと。バンド演奏やダンス披露など、なんでもありらしい。


ざっくり説明するとこのようなことがプリントには記載されてあった。


これが私の人生の最後の思い出になるのかと考えると、心中に切なさが広がった。


消えたくない。死にたくない。


それらのふわふわとしていた気持ちが固まった、今。ずっと考えてはいけないのだと思い込んでいたけれど、そう願ってしまう心に嘘がつけない。


わかっている。自分を殺すという行為が、「良いこと」として成立してはいけないのだから。
いじめられていたという、やむを得ない理由があったとしても、正当化できない。


今生きているアディショナルタイムは、もしかしたら、いじめを耐え抜き、歯を食いしばって生きた先にあった未来かもしれない。


私がいじめにも耐え、死ぬ気で生きたあとで訪れたかもしれない幸せに今、いるのかもしれない。
生きていないからそれは確かめようがない未来だけれど。


これはやはり、罰なのかもしれない。自殺した私にこれまでにない幸せを見せ、「生きていたらこの先もずっと味わえたかもしれないのに」と、救いもないのに無理にでも懺悔させる。いじらしい神様の趣味かもしれない。


生きたいと思わせることは、私にはなによりも過酷な導きだ。
どんなに生きたいと願っても、生きられないのだから。


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