いつか羽化する、その日まで
今朝の営業所は人がいる割に静かだ。所長が小林さんを自席に呼んで何事かを打ち合わせしている以外は、自分がキーボードを叩く音しか聞こえない。
音のない隣の席をそっと盗み見ると、村山さんが真剣な顔でディスプレイを見ていた。そこにはいつもののんびりした雰囲気はなく、何故かこちらが緊張してしまう。
「あの……」
「ん?」
声をかけると、思っていたよりも冷ややかな視線を向けられて汗が噴き出そうになった。
村山さんがプリンひとつで怒ったり拗ねたりするような人ではないことくらい、もちろん知っている。
では、この微かな違和感は一体何だろう。
「さっきの……と言うか、この前のことなんですけど」
「うん」
感情のないその返事に一瞬怯みそうになるが、勇気を出して続けた。村山さんは〝この前〟という言葉だけで、先週の、プリンを食べた日のことだと察してくれているようだった。
「小林さんに悪気があったわけじゃないんです」
「……」
なるべく簡潔に、小さな声で話すようにした。こんな薄っぺらい言い訳をしたかったのでは決してなかったが、どうすれば村山さんがいつも通りに笑ってくれるのか分からない。それに、私を労ってくれた小林さんの善意を悪く思われてしまっては大変だ。
村山さんはパソコンのディスプレイを見つめたまましばらく動かなかったが、やがて深い息をひとつ、吐き出した。
「……悪気があった方が、まだ良かったかなあ」
「え?」
それは、小さい声を意識して話した私の声よりも更に小さくて、全く聞き取ることができなかった。
その村山さんの呟きに私が聞き返したのと同時に、目の前に置いてある電話機のモニターが音を発して光り出す。着信の合図だ。
「ーーごめん。電話、取ってもらってもいい?」
「あっ、はい!」
にこりと指摘されて、驚いて固まっていた私は慌てて受話器を上げた。
やっといつも通りに笑ってくれたその顔がどこか悲しそうに見えたのは、何故だろう。