いつか羽化する、その日まで

「おはようございます。マナカ商事東部第四営業所です」


噛まずに言えた!
心の中では盛大なガッツポーズをとっているところだが、そんな暇はない。相手の用件を聞かなければならないからだ。


『わたくし、田中建設の宮下と申しますがーー村山さんいらっしゃいますか』

「はっはい、少々お待ちください」


次のステップとして、電話の取り次ぎをすることになった。先週の金曜日におっかなびっくり電話を取り始めたが、少しずつ上達している気がする。
慌てずに保留ボタンを押して、私は横を向いた。


「村山さん、田中建設の宮下様からお電話です」

「うん、ありがとう。ーーもしもし、村山に代わりました」


無事に電話を引き継いで、ほっと息をつく。

電話とはいえ、知らない人と話すことなんてほとんどない。たまに大学の講義で、偶然隣の席になった人とペアワークをするくらいだ。


ーーはあ。まだ胸がバクバク言っている。


電話ひとつで緊張したり怯えたりして忙しい。隣からは楽しそうに話している村山さんの声が聞こえてきて、私の心に深く突き刺さった。


「先日はどうもーーいやあ、宮下さんこそ謙遜している割には大胆でしたよね、あはは」


仕事では、電話をかけることが目的ではなく、目的のために電話をかけている。だからこそ、この世界では〝人と話せること〟は大前提なのだ。

もちろん、それだけが仕事ではないということもわかっているけれど、たったの一週間で『目の前にいる人たちと同じ舞台に立ちたい』と思うようになってきてしまったから、悩んでしまうのだ。……我ながら、単純だけど。

< 36 / 120 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop