いつか羽化する、その日まで
始業時間になると、小林さんが私のところへやってきた。
「立川さん、今日はよろしく」
「こちらこそ! よろしくお願いします!」
慌てて立ち上がる。いいよ座ってて、と無表情ながら優しい。小林さんは、壁に掛かってある時計を見ながら予定を教えてくれた。
「あと三十分くらいで出ようと思ってるけど、いい?」
「はい!」
私が寝不足になった原因。
それは、今日同行させてもらう相手が小林さんだからだ。
昨日村山さんが所長に直訴してくれて、私は二人の仕事を見せてもらえることになった。
……何だか村山さんの思惑通りになってしまったような気もするのだが。
所長の『じゃあ明日小林くんに同行してもらおうか』の鶴のひと声により、私の初回同行者は小林さんに決まってしまったというわけだ。
今日はこれから営業車に乗せてもらい、いくつか客先をまわるのだという。
(ダメダメ! 体調管理も仕事のうちなんだから!)
すとんと座り直した私は、頬を叩いて気合いを入れ直した。寝不足だなんて社会人として論外だろう。
そんな私の一連の様子を隣で眺めていたであろう村山さんは、にこにこ微笑みながら恐ろしいひと言を告げる。
「サナギちゃん、小林さんと密室で二人きりだね」
「……!」
私は硬いもので頭を殴られたような衝撃を受けた。何てことを言ってくれるのだ!
ーーでも確かに村山さんの言う通り、車の中では二人きりになってしまう。しかも、憧れている小林さんと!……ど、どうしよう。
夏だというのに、意識し始めると緊張でどうしようもなく体が震える。村山さんはそんな私を気遣うように、さり気なく手を握ってきた。温かくて意外と大きな手だった。
「小林さんに変なことされたら、すぐに言ってね」
私を落ち着かせてくれるように、瞳だけは優しい。
手、離してください……。
「……村山」
「うわ、聞こえてた」
村山さんは、背後でとびきり低い声を出した小林さんにわざとらしく驚いて、私の手をパッと解放した。それまで触れていた部分が冷房の風を受けて、急にひんやり感じた。