いつか羽化する、その日まで

「ざっくりだけど、営業所を中心にして地域を二つに分けてるんだ。俺は西側で、村山が東側担当」


私はメモ帳とペンを持って助手席にいる。短い時間ではあるけれど、沢山勉強になることがあるはずだ。気になったことはどんどんメモしていかなければ。
小林さんは運転しながらぽつぽつと細かい決まりごとや普段の仕事について話してくれているし、同じことを何度も質問するのは申し訳ない。


ーーええと、小林さんが西側で、村山さんが東側、と。


カリカリとペンを走らせていたら、そんなことメモしなくていいから、と苦笑されてしまった。いつの間にか信号待ちで停車していたようで、思いっきり目が合った状態で。
は、恥ずかしい……!


「車の中は揺れるし、今はメモしなくていいよ。服にインクが付いたらなかなか落ちないだろ?」

「そうですね……そうします」


私はおとなしく従い、メモ帳とペンを膝の上に置いた。


(うう、優しい……)


私の服の心配までしてくれて、小林さんは本当に優しい人だ。そんなことを考えていると、飲んでもいないのにカフェラテの香りが漂ってきた気がした。


『思い切って連絡先交換しちゃえば?』


まるで耳元で言われているように、先日の友人の言葉が生々しく蘇る。


(こっ、こんな状況で連絡先なんて、絶対無理!)


さっき村山さんに〝密室で二人きり〟だとか〝彼女がいるか聞けば〟だとか散々からかわれた後なだけに、もしかしたら幻聴が聞こえるほど意識してしまっているのかもしれない。きっとそうだ。

そうして私は全て村山さんのせいにして、座席に背中を預けた。落ち着くために、深く息を吸う。


「何か質問ある? 仕事のことでもいいし、気になることがあれば」


ところが予期せぬ逆質問により、落ち着くどころか心臓が口から飛び出そうになった。

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