いつか羽化する、その日まで
「うわ、今日もあっついね」
眩しそうに目を細め、手でひさしを作りながら歩く村山さんについて行く。少し歩いただけで額に汗が滲んできて、私はポケットに入れていたハンカチを取り出して拭った。
そのついでに、耳に触れる。
唇を寄せられただけだというのに、変に意識してしまう自分が情けない。近付く度に仄かに香るあの柑橘系のにおいのせいもあるのかもしれない。
アツいのは、夏の気温だけで十分だ。
昨日出かける前に小林さんの話題でからかわれたこともあって、こちらは話しかけづらかったと言うのに。まるで何もなかったかのように声をかけてくる彼が、本当に分からない。
ーー悪い人ではないと思うんだけど。
それどころか、ふざけたり茶化したりしながらも私の様子は見ていてくれているようで、いつも絶妙なタイミングで声をかけてくれる。
初めて顔を合わせた時からずっと彼のペースに巻き込まれていると思っていたが、実はそうではないのかもしれない。
ーー村山さんが、私の速度を計っているのだとしたら。
私がそう思ったのとちょうど同じタイミングで、村山さんがくるりと振り返った。
「そうだ、店に着くまでに注文決めておいてね」
「ええっ?!」
あともう少しでお店に着いてしまうというときに思い付いたように告げられたことで、私はその仮説を全否定した。
(やっぱり、私のペースを乱して楽しんでいるだけじゃない!)
私は突然のことにむっとしたが、空腹には勝てない。先週見たメニュー表を思い出しながら、何を食べようか考え始めていた。