番犬男子
お兄ちゃんから、雪崩や傷やあたしの存在が絡む記憶が、完全に消去されたのではない。
苦しい孤独感にまた心が壊されないように、鍵をかけて奥底に封じ込めたんだ。
もちろん二度と記憶が蘇らない場合もあるが、封じた記憶に関連する“何か”を引き金に、鍵が開いて思い出す可能性のほうが高い。
『全て忘れた今でもなお、お兄ちゃんの心は傷だらけのままなんだよ。それを放っておけって?』
バカ言わないで。
お兄ちゃんが記憶喪失になって、本人でさえ自分の傷を癒すことができなくなった今、あたし以外の誰がお兄ちゃんを救ってあげられるというの?
あたしの肩を押さえるお母さんの手を振り払って、お母さんから目を逸らす。
『お母さんとお父さんは、どのくらいお兄ちゃんのことを知ってる?』
『え……?』
『お兄ちゃんね、クラスではみんなに頼られてるって噂が、あたしのクラスにまで流れてくるんだ。すごいでしょ?
運動会ではいっぱい1位を獲ってた。特に選抜リレーの時のお兄ちゃん、かっこよかったなあ。
お兄ちゃんは自分は頭が悪いって思ってるみたいだけど、本当は違う。この前、算数のテストで満点取ってたもん。
そういえば、先週、信号を渡ろうとしたおばあちゃんに、お兄ちゃんは迷いもせず手を貸してあげてた。
夏休みに撮った写真が、フォトコンテストで入賞したことは知ってる?お兄ちゃん、すごくセンスがあるんだよ。
お兄ちゃんの癖は?お兄ちゃんはね、いつもひとりで泣くの。弱いところを見せたら、嫌われちゃうって思ったのかな』
瞼を伏せながら、お兄ちゃんのいいところ、かっこいいところ、すごいところを話していく。
まだまだ話し足りない。