再見
 中学の時の数学の講師に、
よく授業の内容から逸れた話を淡々と語る男がいた。
クラスが全員揃ってはいなかったので、
あれはおそらく夏季講習でのことだと思う。
彼は冷房の効き過ぎた教室で、
最前列の机に半分腰を下ろした姿勢でおもむろに語り始めた。
『石が転がる話』祥子はその話を、自分の中でそう呼びながら何年も覚えていた。
―道いっぱいに大きな石が転がり落ちて来る。
脇には人一人分だけのスペースがある。
君はその場所に誰ならは入れ、助けるだろうか―
彼はこう言った。
自分は妻と二人その坂道にいたとしたら妻を坂に残し、自分が穴に入るだろう、と。
そして子供ならば助け、自分が犠牲になるだろう、と。
「ひどぉい、先生」「なんでぇ?」など一斉にクラスがざわめく中、
祥子は一人口篭り、黒板にご丁寧にも描き現された坂道を石の絵を見つめていた。
説明は単純に、妻は結局他人であり、子供は自分の血を分けた分身だ。
と言うものだった。
何故か酷く傷ついたような気持ちだった。
今なら何となく分かる。
問いかけの答えが問題なのではない。あの話はただどうしようもなく、
押し付けがましかったのだ。
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