友情結婚~恋愛0日夫婦の始め方~
マグに入れてダイニングに出ると、のぞみはリビングのソファに膝を抱えて座っていた。
「はい」
マグを渡すと、素直に受け取った。
両手で包むようにして、口をつける。
琢磨ものぞみの隣に座った。
のぞみから、ミルクの甘い匂いがする。
「今日さあ、俺、お前の会社行ったんだ」
「……そうなの? いつ?」
「夕方。でもお前、早退してた」
のぞみは唇の上下を内側に入れるように、口をつぐんだ。
「駅で見たよ。あいつ、誰」
琢磨は尋ねる。
「知り合い」
のぞみの周りの空気が、拒絶を強める。
「いい奴か?」
のぞみは答えない。
あの時見たのぞみの表情。いい奴じゃないことは確かだ。
「もしなんかトラブルに巻き込まれてるんならさ」
琢磨が言いかけると、のぞみは勢い良く首を振った。
「大丈夫。ぜんぜん大丈夫」
昔から、のぞみは弱音を人に言わない。
明らかにおかしいのに、無理に笑顔を作ろうとする。
「琢磨の想像してるような人じゃないよ」
「じゃあ誰だよ」
「昔の、知り合いってだけ」
のぞみは大げさに手を振ると「心配しすぎだって」と明るく言った。
「何も隠さなくても」
琢磨はのぞみのその態度にイラっとする。
なんとかしてやろうっていう、こっちの気持ちを門前払いだ。
「隠してない」
「でも明らかにおかしいだろ」
「関係ないよね」
のぞみが言った。
その言葉の強さに、琢磨は息を飲む。
「わたしが自分でなんとかする。琢磨には関係ないし、迷惑もかけない」
のぞみはマグをテーブルに置くと、立ち上がった。
「おやすみ」
もう、完全に心を閉ざしている。
あっという間にロフトにあがり、布団をかぶって動かなくなった。
『関係ないよね』
友達では入れない領域なんだろう。下手に手出しをしてはいけない部分なんだ。
真尋と部長の噂が出たとき、琢磨は当然の権利というように、真尋に立ち入った。恋人であり婚約者であるという自負が、彼女の心に踏み入る行為を正当化した。
結果、彼女の触れてはいけない部分に触れて、関係は崩壊した。
触れてはいけない部分に触れると、崩壊する。
のぞみとの関係も、これ以上立ち入ったら、崩壊してしまうのだろうか。