友情結婚~恋愛0日夫婦の始め方~
玄関の鍵を開けてリビングへ入ると、「おかえり」と明るい声が聞こえてきた。
驚いて顔を上げる。
のぞみがキッチンから顔を覗かせていた。
「水?」
「……ああ」
のぞみが手渡したのは、きのう一口だけ飲んだ水。
ちゃんと冷蔵庫に入れてあったらしい。
のぞみはキッチンへ戻り、なにやらゴソゴソしている。
琢磨は首をかしげた。
のぞみが朝食を作るなんてこと、これまで一度たりともなかった。
「なにしてんの?」
琢磨がキッチンを覗くと、のぞみは鍋になにやら野菜を入れている。
「スープでも作ろうかと」
「俺がやろうか?」
「いいって。わたしがやりたいの」
のぞみは分量を気にせず、どんどん入れていく。
火をかける前に牛乳を入れようとしたので、琢磨は「ストップ!」と声をあげた。
「なに?」
「牛乳はあと入れ。ダマになるだろ?」
「そうなの?」
のぞみは腕は組んだ。
「難しいな」
「知ってればそうでもないよ」
一歩のぞみに近づこうとして、躊躇した。
無意識にのぞみを見る。
のぞみもこちらを見ていた。
目があう。
キスの直前、お互いの息が交わったその一瞬が脳裏に瞬く。
琢磨は、前に出しかけた足をとっさに元に戻した。
胸がざわめく。
「きのうは」
琢磨は口を開いた。
「つい、でしょ?」
のぞみは視線をそらし、コンロの火をつける。
換気扇をつけると、キッチンにこもるような風の音。
「大丈夫、わかってるって」
のぞみはまだ少しも温まっていない鍋の中身を、ぐるぐると菜箸でかき回した。
「わかるよ。人肌恋しい時も、あるしさ」
のぞみはワントーン高い声で「パン焼かなくちゃ」と言った。
琢磨は拍子抜けして「ああ……」と小さな声を漏らした。
のぞみに助けられた。
友達の線を引き直してくれた。
「……パン焼くの早いって。まだスープに火を入れたばかりだろ?」
「そっか」
「俺、シャワー浴びてきたら手伝う」
「うん」
琢磨はキッチンを離れて、身支度をしに洗面所に入った。