アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~
トリティアがまるで感情の篭っていない声で、そう言った。
その視線の先には、光る水柱から水を払い出てくる人影。
姿かたちはアールだ。
だけどその内に居るのは、アールの器を得た海の神アトラス。
「…あいつ、以前うちの船を襲ったやつか。確か、アールと名乗った」
船首で状況の確認の為に身を乗り出したレイズが、相手を確認し、「襲撃とみなして間違いねぇな」と拳を握る。
それから腰元の剣をすらりと抜いた。
まるでそれを見計らうかのように、膨大な力の塊が船へ向かってアトラスから放たれる。
防御しなければ。
そう思うけれど、どうしていいか分からない。
このままじゃ――
咄嗟に目を瞑ったその時。
光がぶつかる。爆風と共に。
飛ばされないように船にしがみつく。
船の上空、アトラスから放たれた攻撃は、碧(あお)い光の壁が防いでくれた。
隣りに感じる気配に目を向けると、そこには。
「…リュウ!」
「今この船がやられては困る」
すぐ傍に、剣を掲げたリュウが居た。
僅かに光を放つその姿。
その背後にはセレスも居る。
今のはリュウとセレスの防御壁。
船を守ってくれたのだ。
だけどアトラスの一撃は強大で、光る壁にヒビが入ったかと思うと、パラパラと零れ落ちた。
『まだぜんぜん、本気じゃないわ』
「…魔力を消費し過ぎてる。もってあと二発。三発目は止められない」
『ダメよ、リュウ。まだアタシ、あなたと居たいもの』
「だったらもう少し役にたってくれ。腕でも心臓でもくれてやる。アールを置いては帰れない」
淡泊だったリュウの、熱い瞳。
その心にセレスが応えるのを感じた。
互いの魔力が呼応する。
一方的ばかりじゃない。そう思った。
ひとりの人間と神さまが一緒に戦う姿を見たのはそれが初めてだ。
でも。
憶測でしかない。
だけど。
かつてのシェルスフィアも、そうだったのではないか。
奪うばかりでなかったはずだ。
これだけの永(なが)い時を、一緒に生きてきたのなら。
『アトラスは父に次いでこの海最強と謳われた戦神(いくさがみ)。…神話の時代なら間違いなく最強だっただろう。だが今は、信仰が失われた時代。神が、ひとが見放された時代だ。その世界に楔で繋がれたアトラスの力には際限がある。あの器がもつまでだ。器がなければ、ぼく達はもとの世界に帰るだけ。それまでに退くか、アトラスを止めるしか助かる方法はない』
背後でトリティアが目を細め、目の前の海とそしてアトラスを見据える。
信仰が失われた時代。
――そうか。
今、この国で最も崇拝されているのは、神の力を持つ王族。
神々との接触は禁止され、おそらく国民は神という存在事態を認識していない。
もしくは海で奪う側として、船乗り達から畏れられる存在。
その思いは、信仰とは程遠い。
敬われるのは、表立つ王族。
その力は神のものでも、国民にとっては等しく希薄。
特に魔力をもたないほとんどの国民にとっては、神という存在は居ても居なくても変わらない存在なのかもしれない。
それはつまり、本来神々が得るべき信仰を、間にはいった王族が無理やり横取りしてきたという事実。
――奪われた、尊厳。
以前トリティアが言っていたことの真意。
この国はもうとっくに。
見放されてしまっていたんだ。
『この海は、我らが世界と通じている。だからどの場所よりも、己の力を引き出しやすい。それはマオ、きみも同じだ』
「……あたし…?」
『きみの半分は、向こう側の海――ぼく達神々の世界にある。きみが、望むなら。ぼくが繋ぐことも可能だ。ふたつの世界を』
――あたしの、力。
それがあれば、護れる。
この船のみんなを――
「ダメだよマオ! トリティアの言葉を鵜呑みにしちゃいけない…!」
トリティアとの会話に割って入ってきたのは、泣きそうな顔をしたイリヤだった。
ぎゅっと。痛いほど強くあたしの腕を掴む。
だけど目の前のイリヤの方が、ずっとずっと痛そうに顔を歪めていた。
「…イリヤ…?」
「マオ、力なんかなくていい、守らなくていい…! 過分な力を受け取って、背負って、その大きさにマオの体がついていけなければ…失われるだけ。死んじゃうってことだよ…! マオは半分神さまだから、もしかしたら神々の世界へと帰るのかもしれない。その魂の、あるべき所へ。でもそれじゃあダメ。魂すら、もとの世界に帰れなくなる…! 人としての体を失ったら、もう戻ってこれない。そんなの絶対ダメだ…!!」