アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~


「――くるぞ」

 リュウが、呟く。
 その切っ先と淡い光が抗戦を示す。
 それと同時に、前方より力の塊が再びこちらへ向かってくるのを感じた。

 錨は上がったものの、船の向きを変えるのにまだ時間が要る。
 レイズが舵をまわしながら、クオンに魔法で船体の向きを変えるフォローを頼み、それを受けた船体が波を払い除けながら大きく揺れた。
 だけど船が向きを180度転回するのは至難の業だ。どうしても迂回するしかない。時間がかかる。

 逃げ切れない。
 リュウとセレスが迎え撃つ。
 前方の空にひと際大きな光が弾ける。

「――…!」

 身構えるのと同時に衝撃が船を大きく揺らした。
 明らかに、先ほどより威力が大きい。

 盾が、破られる。
 想定を超える威力に、その反動でリュウの体も弾き飛ばされた。
 パラパラと光の欠片が船に降る。夢のようなその光景。 
 もう防御の術はない。

 クオンとセレスの盾でも防ぎきれなかった魔力の破片が、盾を突き破って船のあちこちへと衝撃と共に落ちた。
 後方で上がる悲鳴に振り返ると、そこには攻撃を受け倒れたレピドが居た。

「レピド…!!」
「…げほ、大丈夫、です。マオ…これが…」

 呻くように言って血を吐きながら、泣きそうな顔をするあたしに攻撃を受けた腹を晒す。
 そこには淡く光る、青い刺青。
 加護の紋様。
 ――あたしの。

「護ってもらいました。マオ、あなたに」
「…!」

 笑ってくれる。でも。
 もしかしたら奪われていたかもしれない。
 死んでいたかもしれない。
 こんな理不尽で一方的で身勝手な暴力に。
 そうしたら、二度と会えない。
 もう、二度と。

「…あたしは…あたしは…!」

 ぎゅっと。イリヤの腕を握り返す。
 イリヤの琥珀色の瞳から、透明な涙。
 もうすぐ夜明け。
 海の彼方にイリヤの瞳と同じ色。

「自分だけが助かるなんて絶対いや…! 自分の力を出し惜しんで、誰かを失うのも絶対にいや! それから、イリヤにそんな顔をさせるのも…もちろん死ぬのも! だから、大丈夫、やってみる。死なないように…!」

 強く言い放ったあたしにイリヤは目を大きく見開き、その言葉を呑みこむように、一度だけ瞬きをした。
 橙色の雫が零れる。
 それからイリヤがわらった。

「…なんて、欲張りで身勝手なの。だけどそうだね、それが人というものだよ。奪い、奪われ…だけど諦めない限り、投げ出さない限り。そうして誰かが誰かを守っている。それがきっと、この世界の真理だ」

 ささやくように落としたイリヤの声の、最後はまるで歌うように。
 それからゆっくりと立ち上がり、海を仰いだ。

「――大丈夫、マオ。ボクが守ってあげる。ボクらはこの海で生まれた者。この海の扱いは、ボクらが一番知っている」

 いつの間にかその隣りにトリティアが居た。
 ふたりの姿が同じ色の光を放つ。寄り添い合うように。
 光の粒が空へと浮かんだ。

 そしてイリヤが歌う。
 空へ、海へと響く歌を。

『…彼女が、アトラスの力の根源を断つようだ。あちらの扉を無理やり閉じようとしている。あれだけの力の礫(つぶて)、今あるだけの力なら底を尽くのがきっと先だ。マオ、そうしたらきっと、きみの力の方が上回る。なぜならきみは――今やこの世界で唯一、信仰を得た神なのだから』
「…信仰…」

 そうだ。あたしには。
 信じてくれている人が居る。

 立ち上がり、腰元のホルダーからシアに預かった短剣を取り出す。
 その重みを胸に抱き、ゆっくりと鞘から引き抜いた。
 薄く半透明な刀身が、光を受けながらすらりと伸びる。

 シア。
 あなたがあたしにくれたものを、返したい。
 きっとあたしは、会いにいく。

 イリヤの歌の効力か、アトラスがその意図に気付いたのか、攻撃の気配。
 その膨大な魔力の塊が、上空にいくつも浮かんだ。
 アトラスが笑っている。
 一方的に楽しんでいるのだろうか。
 その心は、あたしには分からない。

 でもその力が尽きる前にアトラスをアールの体から追い出さなければ、アールは本当に死んでしまうだけだ。
 リュウが助けたいと願ったのなら、あたしも見捨てたくない。
 まだ、生きているのだから。

 受けているばかりじゃ何も得られない。
 力を、望むかたちにする。
 それをするのは、あたしの心だ。

「なるほど、分散しているとはいえ見せかけ、魔力が補充できないのだろう。明らかに威力は弱まっている」
「受けるのは、我々が。マオはとにかく相手にだけ集中してください」

 いつの間にか傍まで来ていたリュウとクオンが、船首に立つ。
 クオンはレイズの手伝いをしていたはずなのに。
 振り返ると、舵をとったままのレイズがまっすぐあたしを見据えていた。
 揺るぎのないその瞳。
 信じてくれる。あたしのこと。

 それからぎゅっと、握られる手。
 ずっと隣りに居てくれた、ジャスパーだ。

「大丈夫です。マオなら、できますよ」

 ずっと変わらない笑みをあたしに向けて、ずっと大丈夫だと、その心をあたしにくれた。
 ジャスパーからもらったブレスレットと、あたしが贈ったブレスレット。
 どうか、護ってと互いに祈りを捧げて。

「ありがとう、やってみる。離れていて、危ないから」

 あたしの言葉にジャスパーはこくりと頷いて、離れていく。
 その瞬間、リュウがひかれるように剣を構えた。クオンもそれに倣う。

「――! どうやらこちらにくるぞ、体勢を整えろ!」

 リュウの警告に目を向けると、アールが海の上、水飛沫の道をつくりながら、距離を縮めていた。無数の力の塊を引き連れて。

 イリヤの歌はまだ響いている。
 アトラスの力の補強を防いでいるということは、つまりセレスやトリティア、ひいてはあたしにもいえることだ。
 今もっているものすべてを、出し切るしかない。
 おそらく今を逃したら、次はない。
 ――みんな。

 アトラスを囲うように浮遊していた光の礫が、一斉にこちらへと放たれた。
 狙いはイリヤか、おそらく自分。

 だけどアトラスを止められるのはあたしだけ。
 今ここで、みんなを護れるのは、あたしだけなんだ。

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