アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~


 頭上から降る魔力の雨に、リュウとクオンが必死に迎え撃つ。
 あっという間に船全体が光に包まれる。
 爆弾を投げ込まれたようにいくつもの爆音と衝撃、それから眩むように弾ける光。

 視界が塞がれる。アトラスの位置は、咄嗟にそう思ったけれどあちこちで光が弾けている。
 ダメだ、慌てて崩れたら相手の思うつぼ。

 剣を構える。あたしに剣は扱えない。あくまでこれは、力を使う媒体だ。
 でもきっと、これ以上のものなどこの世界のどこにもない。
 くる、そう思った時には。
 もう目の前に居た。

 反射的に動かした腕が、それを伝えた。
 甲高い金属音が、空高く反響する。

 突然のその刃に、本能的に思い切り力をぶつけてしまったのが自分でも分かる。制御できず、ただ相手に放った力のすべて。
 受け合ったその一太刀の余波が、周りのものを、人を、吹き飛ばす。

『思ったよりねばったな、マオ』

 アトラスがはいったアールの体は、それでもあたしを見下ろすほどに大きい。
 まるで表情を崩さずに、押し付けられる刃。
 おそらくこれが互いの、最後の武器。
 もう力は殆ど残っていない。
 
「――その体を、返して…!」
『断る』
「…っ、だったら…! 奪い返す…!!」

 力を込めて、剣を払う。力の差は歴然。
 まるで遊ぶようにアトラスは、それをわざとらしく受けて流す。
 今の彼にはなくてあたしにはあるもの。
 それは。

『…!』

 歌が、かわる。
 イリヤがクオンに支えられながら、必死に声を絞り出す。
 ぴくりと、アトラスの動きが止まった。そしてそれは、あたしにも作用する。
 イリヤの歌。海の神々を意のままに操るその声音。

『…この歌か…!』

 事態を理解したアトラスが、吠えた。
 あたしの剣の細い刀身が、光に溶ける。
 魔力がその歌声に、解かれていく。

 だけど、あたしは。
 半分は、みんなからもらった心を糧に。
 だけどもう半分。
 あたしにはこの、体がある。

 残された短剣で、目の前の動けないアトラスの体を切りつけた。
 晒されたアトラスの上半身、心臓の上。
 そこには赤く灼きつけられたような紋様。
 アトラスとの契約の証。
 ふたつの世界を繋ぐもの。
 かたちを失い血に潰れた紋様を見たアトラスが、それでも豪快に笑った。

『――このおれとしたことが、見くびり過ぎた! 生まれたばかりの泡の礫、されど我らと同じ魂を持つ者。そして唯一の、人の器を持つ妹よ。どうだ、初めてひとの願いを、祈りを力にして戦う気分は。さぞや気持ち良いだろう』
「…!」

 アールの体から光が失われていく。
 その体が、アトラスから引き離される。

『踏みにじってやりたくなるだろう。愚かな人間どもの、身勝手な願いなど…!』

 最後にそう言って、アールの体が傾く。
 そして、その後方から。

「――――マオ!!」

 気付いた時にはもう既に遅かった。
 アトラスの置き土産。
 光りの礫が空高くより、落ちてくる。
 あたしに向かって。
 降り注ぐ。

 たくさんの声が遠くであたしを呼んでいた。
 あたしはなぜか、まるで雨のように降るその光の塊から、目が離せなくて。
 指一本すら動かせず、ただそれを見上げていた。


「マオ…!!」


 夜が明ける。
 太陽が昇る。

 あぁ、世界は美しいのだ。
 だから憧れずにはいられなかったのだろう。
 だから欲せずにはいられなかったのだろう。
 海の世界にはない光景。
 幾度となく平等に、地上を照らす希望の光。

 だから、妬まずにはいられなかったのだろう。
 だから、怒らずにはいられなかったのだろう。

 この美しさの対価も知らず、身の丈に合わない力ばかりを欲する、人間を。
 身勝手に繰り返す争いに、自分達を巻き込んだ人間を。

 それでも、人は。


「……マオ。大丈夫。…大丈夫、ですよ」
 

 ささやくように小さな声が、自分のすぐ耳元でした。

 パラパラと、貴石が降る。
 これは、ジャスパーからもらったお守りだ。
 衝撃で砕けてしまったのか。貴石の雨にはなぜかあたしの結晶も混じっていた。
 キラキラと、日の光に反射して輝いたそれが、音をたてて地面へと転がる。

 あたし、生きてる。
 体のあちこちが痛いけれど、わき腹にひと際大きな熱と痛みを感じるけれど、それでも生きている。

 護ってくれたんだ。この石が。
 ジャスパー。あなたが。

 ぬるりと、温かな感触。
 温かな重み。

 血の匂い。肌の焼ける匂い。肉の焦げる匂い。
 命が削られていく、におい。

 なんとか体勢を起こして、自分の体に覆いかぶさっていたその体をどけようとする。
 けれどもぎゅ、と。離れまいとしがみつかれる。
 それとも、見せないように。

 そこに居たのは、あたしを強く抱き締めているのは、ジャスパーだ。
 どうして。
 頭が働かない。
 目の前の出来事を、上手く受け止められない。

「……ジャスパー…?」

 ようやく離れたその体を、床に横たえる。
 赤い水たまりに横たわる、ちいさな体。
 その赤が自分をも染めていく。
 
 上半身の服の殆どが焼けて、顕わになる肌。
 その腹の半分以上が、赤く抉れてもはや内臓さえもなくなっていた。

 そこまで見ていてあたしは、その残る肌に青の模様を探していた。
 刺青、あたしの加護。
 加護が働いたのなら、護れたはずだ。
 さっきのレピドみたいに、致命傷までには至らないはず。

 だってジャスパーは、誰よりもあたしのこと、信じてくれていた。
 ジャスパーは、あたしに力をくれた。
 その心であたしを護ってくれた。
 ――あたしを。
 
 だけど、そこにあたしの刺青が見当たらない。
 だって、そうだ、まだ。

 ジャスパーには、まだ。

 それを思い出して、漸く。
 ジャスパーの体から流れる血溜まりの中で、漸く。

 ジャスパーがその身を呈して自分を守ってくれたんだと理解した。



「いや……!」


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