アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~


 こんな、自分でも制御しきれない、不安定な力で。アトラスに勝てるとでも思っているのか。
 でも、そんなことはもうどうでもよくて。

 この、怒りを憎しみを哀しみを。
 自分の内側に留めておくことなどできなかった。

「……やめて、マオ…」

 そっと。
 あたしの頬に触れた、温かな手の平。
 何も映していなかったあたしの視界に、再びジャスパーが映る。
 やっぱり、血だらけ。
 それでもまだ、生きていた。

「…ジャスパー…!」

 あたしの涙をそっとその指先で拭って。
 にこりと笑う。血の海に沈みながら。

「…マオに、そんな顔は、似合いませんよ。ぼくなら、大丈夫。大丈夫ですよ、マオ…」
「…っ、…!」

 ――なに、が。どこが。
 大丈夫?
 大丈夫なんかじゃない。

 そう怒鳴って、怒ってやりたい。
 どうして、あたしなんかを庇ったりしたの。
 どうして。

 あたしはジャスパーを、護れなかったの。

「それに…うっすらとしか、理解できなかったんですけど…マオは半分神さまで、ぼくらの願いを、力にしてくれているんでしょう…?」
「ジャスパー、もう、しゃべらないで…!」

 ジャスパーの傷口から溢れていた血は、そういえばさっきあたしが固めた。
 これ以上血は流れないけれど、失ったものはもとには戻らない。
 二度ともとには、戻らない。

「聞いてください。だったらマオ、その力を、こんなことに使わないで。誰かを傷つけたら、マオもまた、傷つくことになる。ぼくの、願いを…そんなことに使ってもらいたくない。ぼくが願ったのは、マオを守ること。マオを傷つけることなんかじゃ、ないんだから」
「……っ、そ、んなの…!」

 その瞬間
 すべてが崩れ落ちた。

 結晶化していたすべての液体。
 海の水も怒りの刃も流れたいくつもの血も誰かの涙さえも。
 
 零れ落ちる。
 ぜんぶこの海の泡になる。

「ずるい、ジャスパー…! お願い、死なないで…!」

 その願いは。
 叶えられないの。

 こどものように声を上げて泣くあたしに、ジャスパーは優しく、頭を撫でてくれた。

「マオ、約束…ちゃんと、守って、くださいね。ちゃんと、本当の家族に…本当の気持ちを、云うこと。きっと、大丈夫ですから」

 うそつき。
 大丈夫なんかじゃない。
 その時にジャスパーが、居てくれなきゃ。
 約束を守ったことをちゃんと、見届けてくれなきゃ。
 意味がない。
 ジャスパーがいなくちゃ、なんの意味もない。

 だけどもう、言葉にならない。
 そんなあたしにジャスパーは、またそっと頭を撫でて、それからその目を傍らに向ける。
 そこにレイズが腰を落として、彷徨っていたジャスパーの手をとった。

「…レイ、ぼく」
「…いい。しゃべるな。…痛むだろう。もう、いい」
「やだな、ちゃんと、言わせてください。レイ、ぼく…ちゃんと役目、果たせましたか? レイからもらった、初めての…」

 きっと、レイズは。
 こんなことを望んでいたんじゃないと、思っているに違いない。
 バカだと怒ってやりたかったと思う。レイズなら。
 だけど。

「…ああ。よくやった、ジャスパー。お前は勇敢な、海の男だ。…どこに、行ったって。ずっと一緒だ。俺たちはお前の仲間で、家族だ」

 そう言って笑うレイズに、ジャスパーがぽろりと、一粒だけ涙を零した。
 とても綺麗な、透明な雫。
 笑いながら空を、海を仰ぐ。

「…良か、ったぁ…ずっと、恩返しが、したかった。レイの役に、たちたかった…大丈夫、レイ。ぼくはもう…さみしくない」


 ひとりじゃ、ないから。


 その言葉と共に、ジャスパーはゆっくりと瞼を伏せて、そして静かに呼吸を止める。

 朝日がその横顔を照らしていた。
 まるで眠るみたいに美しい、その横顔を。
 まるで奇跡みたいに残酷な、その瞬間を。


「…いや…やだ、おねがい、目を開けて…! ジャスパー……!」


 ジャスパーは何も応えない。
 まだ、こんなに。
 温かいのに。
 この手にまだ温もりが、残っているのに。
 ついさっきまで、呼吸をして、話をして。

 生きていたのに。
 



 もう二度とその横顔が
 あたしに笑いかけてくれることはなかった。

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