アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~


「…マオが、ぜんぶ神さまだったら…ボクが治してあげれたのに」
「…そう、なんだ…」
「でも、ボクは。マオが半分人間で、良かった」
「……」

 琥珀色のその瞳が、まっすぐあたしを見つめる。
 その言葉の真意があたしには見えず、ただ無言で返すしかできない。
 だけど、あたしは。
 神さまでも人でもある、あたしは。

「……あたしは、もう」

 自分で力を求めた。
 神の力と分かっていて、神に近づくと分かっていて。
 だけど所詮、受け止めきれなかった。
 その代償に大切な人を失った。

 はじめから、求めなければ。分不相応に弁えていれば。
 もっと違ったかたちがあったのかもしれない。
 失わずに済んだのかもしれない。
 思いあがったその罰が、きっとこれなのだ。

「神さまにもなれないし、ただの人にも戻れない。あたしが帰る場所は…もう、ないのかもしれない」

 自分でも、自虐的なことを言っていると。今さら過ぎるのだと分かっていた。
 だけど、もう。
 信じることができなかった。
 自分自身を。

「…マオの、本当の気持ちを、教えてほしい」

 ぎゅ、と。熱の失われていくあたしの両手を、イリヤがつよく握りしめる。
 真っ直ぐ見つめる眼差しは、揺るぎない。

「…もとの世界に、帰りたい…?」
「……」

 その言葉に、自分の心臓が撥ねる。
 いつかは帰る場所。帰らなければいけない場所。
 なによりジャスパーとの約束がある。
 あたしはこの世界で自分の役目を終えて、そしていつか必ず――

「…わから、ない…今、帰っても…逃げてるだけでしかないって、わかってる。だってこんな状態で、帰って…もう二度とこの世界に、戻ってこれなかったら…!」

 トリティアはもう居ない。
 そしてもし帰れたとしても、今までこの世界にくる為に使っていた、ふたつの世界を繋ぐ場所、旧校舎のプールはもう取り壊される。
 入口を失う。そしたら、もう二度と――

「あたしの、知らないところで…! みんなが傷つくのは、ぜったいに嫌…!」
 
 どんなに後悔しても、悩んでも迷っても。
 そこに、行き着く。この心は。
 あたしはこの世界を捨てることなんてできない。
 だってもう、知ってしまったのだ。関わってしまった。
 繋がりを、繋いでしまった。
 固く、強く。

「……本当に。欲張りだね。マオ」
「…イリヤ…?」
「人も、神さまも。守れるものなんてたかが知れてる。神さまは決して万能じゃない。信仰の失われた時代で衰えていくように、不必要なものは淘汰(とうた)される。そして必要とされるものだけが、生き残っていく。マオ、それが今の時代、そしてこの世界だよ」
「…どういうこと…?」

 イリヤの言葉の意味が、言わんとすることが、上手く呑み込めない。
 おそらく間抜けな顔するあたしに、イリヤはふ、と息を吐き出すように笑った。
 それからするりとその両手が、あたしの頬を包み込む。

「もうこの世界に、神さまは不必要なんだ。だからボクの一族はボクでその役目を終える。そして、マオ、もうこの世界に」 

 笑うイリヤが、すぐ鼻先で甘い吐息を吐く。
 その瞬後にそれが、あたしの心を蝕む毒になる。


「神さまなんて要らない」


 だったら、あたしは。
 どうしてここに居るの。

 零れた言葉を、流れた涙を、イリヤのその唇が受け止める。
 残酷な言葉を吐いたその唇が、あまりにもやさしいキスをくれるから。
 あたしは流れる涙を止められなかった。

 その内のいくつかが、パラパラと不揃いな結晶になって床を転がった。
 また自分の心の不安定さに振り回される力。
 タオル越しの肌は熱く、どちらの熱か分からない。
 ただその熱さに頭がくらくらした。
 薬が切れてきたのかと、そんなことをぼんやり思って。
 イリヤの細い体があたしを抱き締めるのに身を任せる。

「…だから、マオ。忘れないで」

 その胸に頭を押し付けられて、聴こえてくるイリヤの心臓の音。
 歌うように優しいその声音は頭上よりあたしの鼓膜を揺らす。
 不思議と。自分の中で荒れていた波が、少しずつ静まっていくような、そんな錯覚がした。

 不鮮明だった自分の内側。ぐちゃぐちゃに傷ついて、跡形もなくなって。
 ひとつの波がさらっていく。そしてその後に残ったもの。
 涙はいつの間にか止まっていた。

「ボクらが居てほしいのは神さまなんかじゃない。誰かの為に涙して、無力だと嘆く、たったひとりの女の子。その子が笑って生きてくれるなら、ボクらはもう、何も要らないんだ」

 静かな、凪の海が脳裏に浮かんだ。
 僅かにはやくなる鼓動。熱い体。
 まわされた腕はあたしが思っていたよりずっと逞しく、いつか同じように、抱き締めてくれた人が居たことを思い出した。

 どこにもいかないでと。
 そう言ってくれた。
 あたしもそう願っていた。
 置いていかないで、と。

 置いていかれるのは、こわい。
 さみしい。
 ずっと誰かを呼んでいた。
 ここに居て、と。
 叫んでいた。




 ――水平線に日が沈む。
 
 永遠に暗い海の底。そこに日は昇らない。光は届かない。
 そうだ。思い出した。

 
 ――愛しいひと。
 光は、きみだった。


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